みなさんこんにちは。

 

東海道徒歩旅、本編の第3回です。

 

今回は草津宿からです。

 

 

 

地図で紹介する写真の撮影場所は、URLの地図をご参照ください。

 

 

 

 

 

今回の行程

  草津-石部-水口

 

 

2022年10月2日

 

草津宿〜石部宿(約10km)

 

歌川広重の「東海道五十三次 草津宿」と、模型(土山宿の東海道伝馬館で撮影)

 

 

 

草津宿には名物のお菓子があります。

うばがもちやの「うばがもち」です。

 

 

戦国時代、織田信長が滋賀県の武士を滅ぼしたときに、その子供を乳母がかくまい、草津で育てたそうです。

 

その乳母は子供を育てるために草津で餅を売っていたそうで、関ヶ原の戦い後は、あの徳川家康も食べ、多くの大名に親しまれたそうです。

 

 

私も実際に食べてみましたが、お餅の上にあんこが乗っており、食べやすい一口サイズでした。

 

そして、あんこの甘さもしつこくなく、餅の味と上手に口の中で共存しており、温かい緑茶が欲しくなる味でした(別日撮影、①)。

 

 

 

 

草津には天井川が流れていました。

 

川の流れには、上流にある土砂を運ぶ力があり、下流でその土砂が溜まります

 

そして流れ着いた土砂が溜まり続けると、そのうち周囲の地面よりも高くなってしまいます。

 

こうして周囲の地面よりも高いところを流れている川を天井川といいます

 

現在、天井川の草津川はなくなり、その跡地が公園となっています。

 

もちろん、江戸時代の旅人は草津川を越えていったでしょう。

 

 

私も草津川(跡地の公園)を越えて、河川敷の跡を歩いて行きます。

 

 

そのうちに六地蔵の一里塚跡(江戸から117里目)を発見しました(8:37、②)

 

 

 

一里塚からおよそ一時間、草津の次の宿場の石部宿に到着!(9:20、③)

 

 

 

石部宿は京都から9〜10里で、江戸時代の旅人の一日の行程にあたります。

 

そのため京都を朝に出発して石部に泊まる旅人が多くいたそうで、「京立ち石部泊まり」という言葉があったそうです。

 

 

石部には江戸時代の絵画に描かれた茶屋が再現されています(9:36、④)が、私が来たのが早すぎたのか、まだ茶屋は開いていませんでした。

 

 

 

 

石部宿〜水口宿(約14km)

 

歌川広重の「東海道五十三次 石部宿」と、模型(土山宿の東海道伝馬館で撮影)

 

 

 

石部宿を出て道なりに歩き続けることおよそ2時間、野洲川に到着。

 

野洲川は琵琶湖に流入する川で、今はもちろん橋で渡ることができます。

 

しかし、江戸時代、この川はいつも橋がかかっているわけではありませんでした

 

10月から2月は土の橋が架けられていますが、3月から9月は川の水量が多く、船で川を渡る、船渡しとなっていました。

 

 

 

これから東京の方に向かうといくつも川を越えますが、野洲川のように一時期だけ橋がかかっている川やいつもかかっている川、橋がずっとない川があり、いくつもの川が船渡しとなっていました。

 

 

昔、野洲川のこの部分は横田川と呼ばれており、野洲川の船渡しは「横田の渡し」と呼ばれていました。

 

1822年に旅人の目印として石の常夜燈が建てられました。

 

この常夜燈は東海道随一の大きさです(11:57、⑤)。

 

 

 

横田の渡しをすぎるとひたすら道なりに進み、およそ40分後に水口宿(みなくちじゅく)の西見附に到着しました!(12:37、⑥)

 

 

 

それでは今回の旅行記はここまでにします。

 

次回をお楽しみに〜。

 

 

石部宿の御宿場印(2023年5月17日購入)

 

 

甲西郵便局の風景印

 

 

水口宿の御宿場印(2023年5月17日購入)

 

 

水口郵便局の風景印

 

 

 

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