韓国の自然、歴史、文化を一度で体験できる「南漢山城」 | myRealTripのブログ

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こんにちわパーパー

今日、韓国は台風で大変な事になってます!!
強風でお店の看板が落ちたり、街路樹が倒れたり、とにかくとても危ない状態が続いてます!
皆さんも雨や風にお気をつけてください。叫び


それでは、台風の中、南漢山城をご紹介いたしまーす。!!
こわっ叫びドクロ


皆さんもご存知の通り、山城は昔、戦争のために作られた物で現在は国の遺産として思われ、観光地となっております音譜 何だか不思議ですね、目的が戦争から観光っていうことに変わったってことは今が平和な時代って事なんでしょうか!?目

まぁーまぁーそういうことにして、南漢山城を!!見てみましょう
。(何回ゆうのよ、、、ショック!)


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南漢山城はソウル市内で24Km 離れている韓国の最長の山城です。
新羅時代に建てられ、今は韓国の自然、文化、歴史を一度に感じることができる、韓国代表的な観光地ですチョキ

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南漢山城では「演奏台」、「南漢山城の西門」、「展望台」などの色んな韓国の遺産も見れますよべーっだ!チョキ



ダウンダウン この写真にのっているのがマイ・リアル・トリップの「南漢山城」ガイドのキム・ヨンドンさんですビックリマーク
キム・ヨンドンは今は徒歩旅行者として、韓国の美しい自然をもっと多くの人々に見せるように新しい“徒歩”を作ってます!! えらいグッド!グッド!

href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120828/16/myrealtripatjapan/2a/6c/j/o0800060012159772300.jpg">myRealTripのブログ

myRealTripのブログ-南漢山城1

信じられないかも知りませんが、キム・ヨンドンはとてもやさしくて面白いガイドなんですべーっだ! 本当です!!


ブログ書いてるのに、風がすごいです、、、まさか、私、、、死なないですようね叫び


死ぬ前にブログを完成したいですしょぼん 


最後に難しい、読みづらい、南漢山城の詳しい情報をご紹介します!!


*南漢山城とは、
南漢山城は新羅の文武王12年(AD672)に唐の国との戦争に備えて城を築城し、昼長城又は日長城とも呼ばれてきました。山城の全体的な形態は城郭が急な坂になって高いのに比べて城の中心地は低くて平らな地勢になっているため、城を守り易く、城内の住居環境が良いので山城として優れた条件を備えています。
朝鮮朝光海君13年(1621)に初めて南漢山城を首都漢陽の保障地に定め、当時満州の後金の侵入を阻もうと、仁祖2年(1624)に守禦使の李曙に命じて城の修築をさせました。その時、碧巌覺性大師も都摠攝に任命され、八道僧軍を動員して築城公役に臨み、2年後(1626)に竣工されました。その後、粛宗(1675~1720)時代に外城を築城するなど城内のあらゆる施設物や造営は朝鮮王朝末期の純祖時代(1830年代)まで続けられました。
城は本城と外城、そして甕城で成り立っています。周りの長さは全長11.76km、城郭の高さは3~7.5mで四つの将台(西将台のみ存在)、四つの大門、五つの甕城、16個の暗門、2個所の墩台(小高い台地)があります。城内には軍舗125、池45、井戸80、水車9がありました。有事に備えて王様が蒙塵の際に留まるための行宮を始め、宗廟、社稷、役所、客所、鐘閣などがありました。
お寺は築城の前には望月寺、玉井寺がありましたが、僧軍の役所と訓練の為に天柱寺、国清寺、開元寺、南壇寺、漢興寺、長慶寺、東林寺を建てたので、合わせて九つになりました。現在は長慶寺、望月寺、国清寺、開元寺が復元されています。城内の指定有形文化財としては守禦将台(西禦将台)、清涼堂、崇烈殿、顯節祠、枕戈亭、演武館、池水堂、長慶寺、望月寺、開元寺、行宮等があります。
特に行宮は丙子胡乱の時に仁祖と昭顯世子が47日間留まった所でもあり、粛宗王、英祖王、正祖王、哲宗王、高宗王が行幸の際に利用した。


*南漢山城の文化財
1. 行宮
行宮は都城内の宮殿ではなく、国王の行幸の時に旅先に設けた別宮、または離宮を言い、南漢山城の行宮は「廣(広)州行宮」または「南漢行宮」と呼ばれました。行宮は上殿、下殿に区分され、左殿(行宮の宗廟)、右室(行宮の社稷壇)が後に設置されています。

2. 守禦将台
仁祖2年(1624)に平屋建てで築造したものを英祖27年(1751)に二階建ての楼閣に増築して、外の扁額を守禦将台、内側の扁額を無忘楼と名付けました。
営将が陣を構えて麾下部隊の将兵を指揮した所です。

3. 清涼堂
南漢山城の東南方面の築造工事責任者だった李晦の怨恨を慰める為に建てた祠堂で、李晦将軍とその婦人、碧巌大師の肖像画が掛かっています。

4. 顯節祠
丙子胡乱の後、瀋陽へ人質として連れて行かれ、忠節を守って亡くなった三学士の洪翼漢、尹集、呉達済、金尚憲、鄭蘊の位牌を祭った祠堂です。

5. 演武館
演武堂と呼ばれていたものを粛宗時代(1675-1720)に改修して演武館と改称しました。
この建物を中心に武術を磨き、武才に優れた人を選んで漢陽(ソウル)に送るなど、軍卒たちが武術を磨いた所です。



さあー、南漢山城はいかがでしたかはてなマーク!?
南漢山城のブログ書きながら台風のニュースを聞くと、まるで今、山城に登ってるようで、怖いです叫び

やっぱり、夏はホラーですねべーっだ! (はっ!?ショック!

それでは、今日は怖いので、ここでさようなら申しあげます。
明日もブログ書けたらいいな、、、あせる
ありがとうございますキスマーク