私の哲学
私は生まれながらの哲学者、もしくは心理学者。誰に享受されたわけでもない。自分で見つけた人生の答え。
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今日気付いた哲学

自分と相手、の問題じゃない。
神から見た自分たちの問題。
だから、利害なんて考えない。
皆平等だから。
神は見ているから。

中学校

中学に入ってからも、「周りに付いていく」という事で精いっぱいだった。
自分を抑え、他者に同意し、愛想笑いで切り抜けた。

中1の終わり頃からだんだん『学校に行く』という行為が
自分の中で困難になってきた。
中2になって、2~3日続けて休んだ(ズル休み)のをきっかけに
学校には行けなくなった。
ひきこもった。
本当に、部屋から出られなかった。
テレビとパソコン通信をしていた。
現実を忘れてのめり込んだ。

中3の秋、いつもプリント等を届けてくれる友達の誘いにのって、
ぽっ と、学校に行けた。
恥ずかしいとか、そんな感情なかった。
先生から個別に勉強を教えてもらった時、すぐ理解できたのを覚えている。
あと、担任の先生が好きだった。

小学校

小学校1~2年

誰と仲良くしたという記憶はない。
ただ、同じ団地に住む無愛想な女の子に、競争意識を抱いていた。
その子を意識する事柄の中で覚えているのは、
どちらが早く家に帰るかどうかと、
シャンプーを自分でしているどうか。
学校が終わると、意識しているのに意識していないかのように振る舞い
迅速に家に早く帰ることを考えていた。
その子より早く帰った日は、自分の事を大いに誇った。
その子とシャンプーの話になって、その子は親にしてもらっていると聞き、
「私はシャンプーを自分でしている」と誇らしげに思っていた記憶がある。


小学校3~4年

活発なケイコとおとなしい坂ちゃん、2人の女の親友ができた。
いつも3人で遊んだ。
ケイコと2人きりの日は活発なけいこに振り回され、
さかちゃんと2人きりの日は、何を話していいかわからず困った。
男の子3人とグループ付き合いをしていた。
Hと、Fと、あと誰だっけ。
私たち3人からそれぞれ、その男の子たちにチョコをあげたりした。


小学校5~6年

私の悪夢の始まりはこの頃からだった。
リーダー格の女の子に、何がなんだかわからなかったけど振り回され続けた。
自分の中で何かが起こって自信がなくなり、
その子にイヤでもついていかないと自分の存在が危うい、と思ったのだろう。
とにかく、周りの子についていくのに必死だった。
楽しいとか楽しくないとかじゃない。とにかく必死だった。

幼児期

幼児期。

私は一人の男の子と知り合った。
母親の友達の子供だった。
でも、私はその男の子がどんな性格をしていたか覚えていない。
どんな遊びをしたかも覚えていない。

団地の一室にある英語教室に通い始めた。
単語の勉強は楽しかった。
英語を書くのが好きだった。
1回、間違えて隣の人の家に入ってしまった事があって
恥ずかしかったのを覚えている。

ピアノを習い始めた。
通っている幼稚園の教室で教わった。
自分のやり方を訂正されたり、家で練習するのが嫌であまり面白くはなかった。

幼稚園では、人になつかない子供だった。
周りの女の子の行動が自分にはできなかった。
血気盛んな男の子の事が好きだった。

幼稚園の卒業アルバムの写真の私は、
カメラの前で緊張しつつも強い意志をもってレンズを見つめている。

幼少期

私はどう育ったのか。




私の母親は田舎の生まれで、「話す」という行為が不得意である。
故に、私は、「話す」という行為が必要でない環境で育ったと思われる。

まだ自分の足で立つことのできない、
言葉を話すことができない赤ん坊を抱っこしながら
「もうすぐおうちに着きますよ」
と話しかける、道を歩いている母親。
私の母親はきっと、そんな母親ではなかったのだろう。

私は母親から正当に遺伝子を受け継ぎ、母親のもとに育ってきた子供だから、わかる。
母親は、いつも他人の目を気にして生きている。
「(こんなことをやったら馬鹿と思われるかしら)」。
自分の言動を気にしながら生きている。
赤ん坊の相手、近所の人との挨拶。
返事が返ってこないかもしれない相手に対して話しかける自分は馬鹿だと思うのであろう、
私の母親はそういった類いの事ができない。
だから、まだ言葉を話せない幼い頃の私は、ただ『黙々と』世話されていたのだと思う。





だから、愛されている実感が育まれなかった。