最近、とある学歴系YouTuberが炎上し世間から大きな批判を集めています。このニュースを見た際、自身の受験生時代、偏差値に苦しみ精神を病んでしまった苦い記憶がよみがえります。そうした辛い経験を経たからこそ、現在進路や成績に悩む学生たちの力になりたいという思いが僕には結構あります。今回はそんな気持ちも込めて僕が偏差値や教育の問題について呟いていこうと思います。

 今、多くの高校や予備校では、進学実績のアピールやマーケティングの都合から、本来の学びとは異なる「受験勉強の目的化」が加速しているように見えます。

模試の構造的な限界

そもそも多くの場合、進路指  導の軸とされる「模試」には、 構造的な限界がいくつも存在し ます。模試は限られた制限時間内で特の出題形式に最適化されたペーパーテストであり、実社会で求められる創造的・実践的な課題解決能力とは大きく乖離しています。そのため、純粋な学力よりも模試特有のテクニックや傾向対策に点数が左右されやすいのです。

 母集団の偏りと実態の乖離

 受験者層の母数は決して均質ではなく、特定の進学校や塾に通う層に偏りが生じています。さらに、実際の入試問題は大学ごとに独自の傾向があるにもかかわらず、一律の模試の結果だけで合否の可能性が語られることには、そもそも大きな無理があります。

塾・予備校のマーケティングと不条理なリサーチ構造

こうした模試やデータを取り巻く背景には、塾・予備校側の商業的な思惑も絡んでいます。主催側が難易度や母集団のバランスを調整することで、受験生の危機感や不安を煽り、講習や対策講座へ誘導することが容易に可能な構造になっているのです。

特筆すべきは、本来は公的機関が迅速に管理すべき共通テストのデータや合否判定リサーチを、民間である大手予備校の推計に大きく依存せざるを得ない点です。自己採点から出願締切までのタイトなスケジュールの中、予備校が設定するボーダーラインの変動に受験生の未来が左右され、かつて友人は、共通テスト受験後のリサーチの判定により志望校を泣く泣く諦めた後に、ボーダー偏差値が塾によって訂正されたような不条理な事態も実際に起きています。このように不安定で操作されうる数字に、多感な若者の進路が委ねられている現状は非常に危ういと言わざるを得ません。

高校教育の歪みとメディアが助長する学歴主義

こうした数値偏重の仕組みは、社会のあり方をも大きく歪めています。

 「受験勉強」が目的化する高校教育: 本来は知的探求や思考力を深める場であるはずの学校の授業が、「大学受験を突破するテクニック」の習得に終始しがちです。ペーパーテストの順位や指定校推薦の枠組みが優先される環境では、生徒の多様な個性やユニークな才能が育ちにくくなってしまいます。

 メディアによる学歴主義の助長: 「〇〇大学合格者数ランキング」のエンタメ化や、難関校出身者の経歴を過剰に持ち上げる報道が絶えません。「高学歴=優秀、低学歴=それ以下」という古いバイアスを社会全体に刷り込み、人々の劣等感や選民意識を煽る装置として機能しています。

ペーパーテストの点数という極めて狭い物差しだけで人間の能力や価値を序列化することは、個人の多面性をあまりにも軽視しすぎているのではないでしょうか。統計的な指標に過ぎない偏差値が絶対視される歪んだ構造から脱却し、受験生が数値に過度に縛られず、本来の学びや自身の適性と向き合える環境を整えていくことが必要だと強く感じさせられました。


ここまで読んでいただいた方にはいかに偏差値が無意味なものかが分かると思います。私は、模試自体を否定するつもりはありません。定期的に模試を受けることで苦手分野を洗い出し、それを克服していくことは時間の限られた受験期間において大切だとは思います。ただ模試の数字を絶対視するのはやめましょう。判定や偏差値や順位は見なくていいです。あんなものにはなんの意味もないからです。大事なのはその下に書かれている科目分野ごとの得点率です。模試を受けた時点で何が足りていないのか、勉強内容に偏りがあるのか、苦手分野はどこなのか?そういうのを洗い出すことに意味があります。私はいつも思うのですが、模試で良い成績を取ろうが取らまいが正直どうでもいいです。その後の復習こそが最も重要なのです。極論、模試でこそ失敗しまくってほしいくらいです。失敗したこととか間違えたことって本当に人間の記憶に残ると思います。むしろなんとなくで正解してそのまま進んでしまう方が恐ろしいのではないでしょうか。とにかく深く考えすぎずに先に進んでいくことが大切です。人間深く考えていることの9割がどうでもいいことだし、実際にそれが起こることはほとんどありません。あまり自分を追い詰めず、自分のできる範囲で努力を重ねることが大切です。私自身痛感しているのですが、受験期間一番大切なことって勉強量とか模試の結果などでなく、心と体の健康だと本当に思います。特に心に関してやはり自分を追い詰めている受験生も多いのではないでしょうか?ただ勉強するだけが受験ではありません。自分の心と体の健康を守ることも立派な受験勉強なのです!ですから何もしないで過ごす日を設けることは全く悪いことではないし、たとえ勉強できない日があっても自分を責める必要は全くありません。勉強できない時は心が疲れているサインなのでむしろ休ませてあげるべきなのです。学力はいくら落ちてもすぐに戻りますが、心は一度病んでしまうと本当に長くそれと闘っていかないといけなくなってしまうと思います。私自身、鬱病、社交不安症さらには強迫性障害を抱えており、現在進行形で病院に通院している身でもあります。強迫性障害に関しては小学生の頃からあるのですが、症状が軽くなることはあってもまた悪化したりして症状が消えることはありません。心と体の健康は本当に本当に大切です。