顔見知りのスタッフが次々と
母と私のもとに訪れてくれました。
(といっても、みなさん母とは初対面です)

母の病気や、
骨折後に転院を繰り返していることを
知っている人もいました。
年末年始に外泊予定…ということも
長期休暇に入る前に
仲の良いスタッフには話してましたから。
また冗談交じりに(半ば本気)
「外泊中に胃チューブが抜けて
 私がうまく再挿入できなかったら助けてね」
とまで、お願いしていたのです。

そんな母にいきなり人工呼吸器が着いているのですから、
驚き、また状態がかなり良くないことは一目瞭然…
私にかける言葉に困っているようでした。

「どうしてここまで放置したの?」
はっきり聞いてくる人もいました。
他の病院に入院していて転院して来たこと、
何人の人に、同じ説明をしたでしょう。
入院していてここまで悪化する…
治療らしい治療がされなかったことを
大抵の人は容易に察しました。
次に尋ねられる言葉は「どこの病院?」
いまさら書くまでもありませんが、
それくらい母の状態は悪かったのです。

急変時の適切な対応・処置で
何とか一時的に救命はしてもらえましたが
依然として予断を許さない状態です。
人工呼吸器で身体の酸素化は助けられていますが、
もともとの“肺炎”がそれで改善するわけではありません。
この重症感染症、肺の炎症が、この後
次々といろいろな合併症を起こすことは予測できました。
人工呼吸器を装着していることによる合併症もあるのです。
細く小さくなった母の身体が、精神力が、
どこまで持ちこたえてくれるのだろうか。
祈り願い、だけでした。

X病院とは違い、母に終始付き添う必要はなくなりました。
(HCUなので、むしろ面会時間が限られているのです)
少しできた時間を使って、いまの自分にできることは何だろう?

こんな時だけの神様・仏様頼みで申し訳なかったですが
毎年参拝していた近くの神社に
遅い初詣をかねてお参りしたり、
母方・父方のお墓、家の仏壇に手を合わせました。
胸の中で繰り返した思いは同じ…
お母ちゃんがどんなことをしたのでしょう。
 なぜあんなに苦しい思いをしなくてはいけないのですか?
 (パーキンソン病の闘病も含め)
 何の罰か分かりませんが、私が代わりに受けますから

この1日3日、私は数日ぶりに
自宅の自分のベッドで眠ることができました。
心配・不安を抱いたまま、
そして後悔・謝罪の気持ちを反芻しながら。

普段、電話の子機は、昼間はリビング、
夜間は父の寝室に置いてましたが、
いつ入るかわからない緊急連絡に対応できるよう、
この日から、私の寝室が定位置になりました。

この日、久々にお風呂につかり
心身共に疲れ切った身体は、
泥のような眠りに落ちていきました。
…電話の子機を握りしめるようにして。


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