質問 上人、和尚、住職など、お坊さんの呼び方は色々ありますが、それぞれどう違うのですか?
 
  全てのお坊さんを「住職」と呼ぶ方がいますが、これは間違いです。簡単に言いますと、住職はそのお寺の代表者なので、一つのお寺につき一人しかいません。その跡取り息子さんは「副住職」と呼ばれる事が多いと思います。
 
 さて、上人(しょうにん)、和尚共にお坊さんの敬称ですが、日蓮宗や浄土宗、時宗では上人と呼ぶことが多く、それ以外の宗派では和尚が多いようです。
 しかしこの「和尚」、禅宗や浄土宗系では「おしょう」と読みますが、華厳宗、天台宗では「かしょう」、真言宗、律宗、法相宗では「わじょう」と読むようです。
 
 何だかややこしいですが、読み方を間違えても怒るようなお坊さんはまずいないでしょう。
 一人しかお坊さんがいないお寺の場合は、「ご住職」とお呼びすれば間違いないかと思います。
 
 
明日ありと 思う心の仇桜 
夜半に嵐の 吹かぬものかは
                         親鸞聖人 
 
  浄土真宗の宗祖・親鸞聖人の名言です。
  9歳で出家を決意した折り、「もう遅いから、式は明日にしたらどうか」と高僧・慈円が提案した時の返答がこの歌だと伝わっています。
「いま美しく咲き誇っているこの桜も、ひょっとしたら夜の嵐で散ってしまうかもしれない。明日があると思わず、いまこの瞬間を大切にしたい」という心だったのかもしれません。
 
   我々も当然のように「明日がある」と思っていますが、それは不確かな事です。
   数年前、幼い時からの友人が急な病気で亡くなりました。昔からとても優しく、リーダー的存在の人でした。お葬式では、泣けて泣けて仕方ありませんでした。
  
誰もが知っているように、素晴らしい人格者が若く亡くなる事もありますし、極悪人が長生きする事もあります。
   この命は生まれ変わり死に変わりを繰り返すので、長い目でみれば善には善の、悪には悪の報いがもたらせられていると仏教では教えられているのです。しかしやはりいい人が短命だと、世の不条理を嘆きたくはなります。
 
   現代人の多くは、とても忙しい日々を送っています。だからこそ、「いま一番すべきことは何か」を常に考えるのが大事だと思います。
  すべき事をしてきたという自負があれば、亡くなった時の後悔は(自分だけでなく周りの人の後悔も)少なくなるでしょう。
 
   いつか亡くなる日に、「精一杯生きた」と心から思えれば、その人生は次に続く素晴らしい日々だったと思うのです。
 
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