鍛えに鍛えた刀

テーマ:
 妙円寺が長く続けている活動の一つに、ミャンマーのお子さんの支援があります。これは一人のミャンマー人女性との出会いがきっかけでした。
 
 ご承知の通り、ミャンマーは軍部が大きな力を持ち、近年まで国内がとても不安定になりました。現在も様々な問題があるものの、以前よりはだいぶ暮らしやすくなったとの事です。
 この女性は民主化の運動に身を投じ、それが原因で投獄され、そこで大変過酷な経験をしました。お仲間もとても辛い境遇に陥ったそうです。
 この方は釈放されたのち見聞を広めるために来日し、それからも祖国と行き来しながら子供達の支援、国を良くする為の活動をしていました。
 
 ミャンマーは色々な事情で親と暮らせない、もしくは親を亡くした子供が多く、しかし日本のようなきちんとした養護施設はあまりありません。
 その為、地元のお坊さんや民間人が大勢の子供の面倒を見ているという現状があります。
 ミャンマー人は大変信仰深くお寺には多くの喜捨がありますが、それでもやはり施設、物資共に十分とは言い難く、その現状を伺った我々が他のお寺と共同して支援を始めた、という経緯があります。
 
 この女性は周りの人の幸せを一番に考える、そんな立派な方です。  だからこそ自分の身に大変な事が起こっても、それに臆することなく為すべき事を一生懸命しています。優しさや義務感が、不安や恐怖を上回っているのです。
 普通の人ですと、もし理不尽に投獄されるような事態に陥ったら、その後どうしても怖くなり、活動が消極的になるのではないでしょうか。
 
 他人への優しさを持ち続ける事も簡単ではありません。
 暴言で話題となった議員、豊田真由子さんも理念の一つは「思いやり豊かな人間性を育む教育」だったそうですが、理想と現実が乖離してしまう事は誰でもありえます。
 
 お釈迦様はお弟子さんに対し、
「鍛えに鍛えた刀を折り曲げるなど、誰にも出来る筈がない。それと同じように、あなた方が慈悲のこころを修め、しっかり身につけることができれば、それを土台として立ち、何ものをも恐れることはなくなるだろう」
 とおっしゃいました。
 仏弟子のような立派な方であっても、優しさ、慈しみは生まれ持ったままでは駄目で、意識して大きく、強くしなければならないし、そうすれば人生の揺ぎ無い土台ができるとお教えになったのです。
 
 日蓮聖人は、「極楽百年の修行は、穢土(えど)一日の功徳におよばず」とおっしゃいました。
 極楽は悩み苦しみのない素晴らしい場所だが、悩み苦しみがない故に自分を高める修行はなかなかできない。
 この世界は大変な事が多いけれど、だからこそ成長できる。この世界の一日の修行は、極楽百年の修行以上に価値があるのだ、という事です。
 
 穏やかで幸せな日々ばかり送りたいですが、残念ながらそうもいかないのがこの人生です。
 悩み苦しみを抱えてしまう事が誰にでもあるなら、嫌だ嫌だと思うだけだと勿体ないですね。
「こういう経験があるから人の気持ちも分かるんだ、これは良い修行なのだ」と強く信じる事ができれば、人生の捉え方もまた違ってくるのではないでしょうか。