愛しすぎるとイライラは最高潮に
人は愛し合うことで幸せを感じます。
ところが、お釈迦さまは不思議なことを行っています。「愛しすぎてはいけません」。なんと理不尽なことでしょう。
ラブラブなカップルを見て、「君たち、愛しすぎてはダメだよ」なんて、私には言えません。ところが、それは、理にかなっているのです。
愛には二種類あります。「捧げる愛」と「渇く愛」です。
「捧げる愛」の代表格は、ガンジーやマザー・テレサのような偉人たちの愛です。
人のために役に立ちたいという「与える愛」のことです。そこまで大それたものでなくても、相互に高め合う愛もここに入るでしょう。
相手のことを思いやり、相手の立場を受け入れ、そのまんまの相手を大切にする愛です。
一方、「渇く愛」の代表格は肉欲です。
のどの渇きにも似た、そのなし沼の愛。自分の満足を満たそうとすることを最優先とする愛です。
「渇く愛」は、自分本位のため、相手を自分の思い通りにしようとする強制的な情熱です。自分の満足が先で、相手にも満足してもらえばなおいいというぐらいのわがままな愛です。
「もっともっと」という自分の欲望を追求していきますから、際限がないのです。まさに「がんばる愛」です。これを仏教では、「渇愛」〈かつあい〉と呼びます。
もし、あなたが相手のよいところも悪いところも受け入れ、自然に愛せるならば、イライラは起きないでしょう。
ところが、「渇く愛」をひたすら追いかけていきますと、欲望が満たされるまでがんばり続け、満たされたかと思いと「もっともっと」求め出して、最後には自分がつぶれてしまう結果になるでしょう。
あなたとパートナーの間柄は大丈夫ですか。