「もっとわかって」は、自分がわかってから

 人は「もっともっと」を追求する生物です。

「私のことを全然理解してくれない」とイライラを募らせている方々の相談をよく受けます。同僚が、友だちが、恋人が、夫が、私の本当の気持ちを理解したてくれない。



 そんな嘆きも、実は「もっともっと私を理解して、尊敬して、愛してー」という気持ちの裏返しからくるイライラです。

 しかし、たとえ家族であっても他人は、あなたの気持ちを同じように味わうことはできません。



 たとえば、誰かの歯が痛いとき、あなたはその痛みを同じように体験できますか。失恋も失業のショックも、近親者の死も、何ひとつ同じ思いをすることはできません。



 ですから相手のことを思いやるとは、とても労力の要ることなのです。自分自身が努力して、相手の苦しみの海にどれだけイカリをおろしていけるかにかかっているのです。

 それが自身の利害につながることならば、努力して理解しようとしてくれる人もいるでしょう。



 しかし、「彼がかまってくれない」とか「お姑さんが意地悪で腹が立つ」などという相手に何のメリットも与えない悩みに対しては、みんな聞いている振りをしても、だいたいは早くこの話を終わらせたいと願っているのです。



 自分のつらさに付き合ってもらうならば、まず、自分が相手のことをどれだけ深く理解しようとしているかが大切です。

 想像力を使って、相手のことを真剣に考え抜いてみましょう。

 人間というものは、不思議なもので、こちらが親身に臨めば、相手も自ずと心を開くものです。



 自分がして欲しいことは、まず、自分から相手にしてあげるのが、マナーであり、優しさなのです。