生涯の夢が打ち砕かれたとき、ずっと抱きつづけた夢を実現させる寸前にあきらめなければならないとき、人はどのような行動をとるものでしょうか?


鎌倉初期の名僧、明恵上人(みょうえしょうにん)は32歳のとき、幼い頃よりの悲願であり旅支度までしていた、天竺(インド)渡航をついにあきらめます。 



 明恵上人は、お釈迦さま(釈尊)が恋しくて恋しくて、上人みずから語っているように、偉いお坊さんなんかに全然なりたくなく、ただお釈迦さまの生きた国(インド)の空気を吸い、たどられた道を同じように歩き巡礼する、それだけを実はしたかったんだそうです。
 

一回目の渡天(インド行き)計画を実行するばかりになっていた1203年の正月、叔父である湯浅氏の妻が、春日大社の神、春日明神の神託を受け、「日本の地を離れてはならぬ」とインド行きの計画の中止を迫りました。 明恵上人30歳の出来事です。


さてその後、明恵上人33歳の折、ふたたびインド行きを計画しますが、にわかに不可解な重い病気になり、断念を余儀なくされます。 断念するとたちまち回復します。 さらにこのとき、「夢」や「くじ」などが指し示す「渡るべからず」を神意と受け止め、明恵上人はとうとうインド行きの意図を放棄してしまうのです。


夢破れて消沈しきっている明恵さん。 けれどインド行き中止は正解だったのです。春日明神の神託があった 1203年は、歴史ではインド仏教滅亡の年とされているからです。 

ナーランダにつづいて1203年(春日明神の神託の年)、 当時仏教の中心であった寺院を、イスラム教徒が焼き払い、僧侶を虐殺します。 これをもって仏教はインドで滅びたとされています。 

 ですからもしインドに無事到着されてもうまくいかなったでしょう。 訪ねるべき寺院や大学は廃墟と化していたでしょうし、仏教徒ということで殺されたかもしれませんね。  

「夢が破れる」といった事態は誰にも起こりうるつらい体験です。特に長年温めていた夢、強い憧れをもってそれに向かって努力していた夢が、何らかの事情で潰(つい)えることも起こりますね。



 こうした挫折の折、人はどうしたら立ち直れるのでしょうね? 


なかなか難しいことだと思います。なかには自暴自棄になってその後の人生をやけっぱっちになって過ごす人もいるでしょう。 

 その後どういう行動をとるかは、人によりさまざまです。 やけになる、誰かのせいにしてふてくされる、引きこもる、自殺する、人に暴力をふるう、色々な選択肢があると思います。 


明恵上人の場合は、しばらくウツになっていたようです←なんか私たちと変わらないなぁと親近感をおぼえます。 


 「夢記=ゆめのき」で有名な明恵上人、19歳の頃より毎夜見た夢、また昼間見た夢(ヴィジョンも含め)、詳細に記録しています。そしてこの夢破れしウツ状態の期間中も夢の記録を書いています。


 どうやら明恵さんは、夢の中に出てくるシーンのもつ意味を自身で考えながら夢を解き、落胆と失意をいやし、夢の示す新たな方向へと進む決意をするにいたったようです。


失意の明恵上人が1203~1205年にかけて見た夢の中で、

 「大水が出て馬で渡ろうとし、あんがい浅瀬があり、向こう岸に着く」夢と 

「危険な岩場を渡りきり、その結果、不思議な桃を食べる」夢をあげ、明恵上人が「インドに行くことを止める決断によって、彼が何か新しい世界にはいることを示しているように思われる」と述べています。 ( 桃は果実=結実したなんらかの成果を得ることと考えられる


 夢には他愛のない内容も多いですが、中には未来を指し示す、自分の真の気持ちを表す、あるいは重要な問題点を知らせてくる夢もたしかにありますね。 

 夢は「魂の言語」で象徴的に語ってくるようです。 ですから夢を解く作業が必要になります。夢が指し示すものは、自我=エゴからのものではなく、どうやら、それを超えたもっと高次のものからのメッセージのように思われます。 魂の希求するものを、時おり夢は、指し示してくるように思えるのですが・・・・・・

 ですから、人生において本当につらいとき、挫折感にまみれるとき、どうしてよいかわからないとき、明恵上人のように、夜見る夢のなかで、夢が何を指し示しているのか、本来の自分が真に求めているものは何かを探り、そのメッセージに注意深くなることが、暗いトンネルを抜ける助けになるかもしれません。 


ながきよの 夢をゆめぞと知る君や さめて迷へる人をたすけむ  (明恵上人歌集)

 幼い頃より仏陀を慕う気持ちが強く激しく、インドに渡りたくて旅支度も整えていた明恵さん。そしてその夢が破れ落ちこんだ日々。 やがて夢に導かれるように立ち直ってゆきます。 上の歌は、叔父の上覚の歌↓に対する返歌です。

     みることは みな常ならぬ 浮世かな 夢かと見ゆるほどの はかなさ (上覚)

 叔父さんの上覚が現世(浮世)は夢のようにはかなく無常である と詠んだのに対し、明恵さんは、

 現世/この世が夢と知るなら、そこから覚めて、迷える人を助けようではありませんか と返したのです。

 ここに明恵さんの新たな境地、決意をみるような気がします。 いつしか完全に立ち直り、後日、承久の乱の折もひるむことなく、逃れてきた人々を命を賭けて救います。 


 明恵さんの使命は、インドではなく、ここ日本にあったのです。