『天地は逆旅(昔の旅籠の意味)なるかも 鳥も人もいづこよりか来ていづこにか去る』
物理学者 湯川秀樹作
だんだんではありますが、死と死体とを同じに観る方々が増えてきています。
死んだらおしまいという考え方です。
実在としての死体の解体としてとられる考え方です。
亡くなった方への偲ぶのが目的になりつつあります。
死の私物化が進んでいるといっても良いかもしれません。
死が隔離されタブー視され、できるだけ人目に触れないように処理される傾向にあります。
死は来世への通路としての意味は失われつつあります。
以前の日本人の死のとらえ方は、死は来世への出発点でありました。
生とかかわるシンボルとしてとられていました。
そして人間としての意味のつけ方として、誕生からお七夜、宮参り、七五三、十三参り、成人式、結婚式、葬式、初七日、壱周忌・・・・通過儀礼として人間は成長していくと考えられていました。
竹の節目もそうですが, この節目が大切になってくるのではないかと思います。
最終的には祖先(祖霊)さまになっていくという意味のとらえ方をしていました。
その方の生きざまが流れていくような
生命のバトンとして考えていけばいいのではないでしょうか。
生きるというところから死を考えるのも面白いかもしれません。