ある人がお猿さんをかっていました。
そのお猿さんの小屋は風変わりで六角形六方にそれぞれ窓があけてあります
ある日のこと、いたずら坊やが六つの窓の前にお猿さんの好物をならべてみました。
もとよりいたずらが目的でお猿さんの手足の届かぬ所に置いたのです。
手足の届かぬということに気がつかず、お猿さんは何んとかしてその好物を取らんと、六方の窓をくるくると回って大変にあせったが、どうしても取ることができず、ついにつかれ切って死んでしまったという話。
それは外でもありません。
私どもの一生が全くお猿さんのようについにつかれ切って死んで行くものが多いです。
六つの窓にたくして私どもを警戒せられたものであります。
六つの窓とは眼の窓から外界を眺め、耳の窓から外界のことを聞く、鼻の窓から香をかぐ、舌の窓から味を知る、体の窓から苦薬を知る、意の窓からよしあしの恩を知るのです。
かくして手足の届かないのになんとかそれらを得て満足しようと、もがき苦しみついにあわれつかれ切ってこの世を去って行く。
分限を忘れて大欲を起こしたことがこのような結果になり、分限を知るということは言いやすくして知りがたいことであります。