イラン・イラク戦争の時、イラクのフセイン大統領は「今から四十時間後に、イラクの上空を飛ぶ飛行機をすべて撃ち落とす」と世界に宣言しました。


イラン在住の日本人は急遽、テヘラン空港に向かいましたが、どの飛行機も満席で乗ることができません。

日本政府の対応は遅く、救出機が来ません。

日本人は、パニックに陥りました。



そこに一機のトルコ航空の飛行機が到着し、日本人全員を乗せて、成田に向かって飛び立ちました。

タイムリミットの、一時間十五分前でした。

なぜ、トルコ航空機が来てくれたのか、日本政府もマスコミもわからなかったといいます。



明治二十三年に、トルコ皇帝の特使一行を乗せたエルトウ―ルル号が、台風に遭い、和歌山県串本町沖合で遭難するという事故が起きました。


この事故で、六十五名のトルコ人が、地元民の手厚い救護で助けられました。

村人たちは、台風で自分たちの食べるものさえ無いのに、最後の鶏一羽までも、トルコ人に与えて、介護し、亡くなった人の遺体は、丁重に葬ったといいます。



元駐日トルコ大使は「エルトウ―ルル号のことを、今もトルコの人たちは忘れていません。


今の日本人が知らないだけです。それで日本人救出のために、トルコ航空機が飛んだのです」と語りました。