3か月に1回ぐらいの割合で渥美半島にひとりで住んでいる母親(75才)に会いに行っています。



いつもご本尊さまのおさがりや、おこずかいを持っていくのですが。

喜んでいる姿をみるとうれしくなります。



ふと仏壇をみると、『最後の最後のお願い』と書いた封筒がおいてありました。




    滝行日記                水に流せないことは、滝に流しましょう。       





2年前に一度危篤状態になった時があり、その時に私自身も心の整理はできているつもりではありますが、中々そこは肉体がある以上難しい部分もあります。





兄夫婦が近くには住んでいますが、三人の子供を育てるのが精いっぱいで、母親の所にもあまり行っていないようすです。




来るときには、こずかいを嘆願しにくる時だそうです。




何年か前に母親にどこで死を迎えたいと聴いた時に友達や思い出のある、この場所で死にたいと言いました。(本当は妙乗院に迎えようとも思いましたが、年齢を増すと環境の変化についていけず、逆にぼけたり、体調を崩す方々を何回も観てきたので)



    滝行日記                水に流せないことは、滝に流しましょう。       




この手紙は母親が生きている前提で書かれているので、実は私が読んでも友人の名前は書いてあるのですが、住所や電話番号などが書かれていませんでした。





場所は近くのお寺を借りて近所の人たちにも来て欲しいと書いてありましたが、ある程度そのお寺にも打診しておかなければ、税務上難しい部分もあり、書きなおしていただきようにお願いしておきました。




でもこの手紙を書くと何だか元気になるというので、日々変わって行くから、毎年書きなをしたらとアドバイスしておきました。





両親は私が小学1年生時に離婚しました。




父親の事業の失敗や兄が骨肉腫という大病になったりで。




私も小学生から新聞配達や牛乳配達、高校では土方などをして家計を助けていたのですが、そんな思い出が母親と会うと蘇ります。




参観日には一度も仕事の関係で学校には来なかったのですが、マグロ漁船に乗って3カ月後の焼津港に寄港した時には迎えに来てくれました。




今では楽しい思い出です。





色々な事があり憎んだこともありましたが、今は感謝でいっぱいです。




母親の死に方の良いサポートができると良いと思っています。