前回「ぼくたちに、もうモノは必要ない。」を読んで
一つだけ私にはまだ理解できないことがあった。と書いたが
もう一つ、二つ、理解できていないことがあった。

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デフォルトの「親切」アプリ


 助け合う人々を「見る」だけでも、「エンドルフィン」が脳内で分泌される。
エンドルフィンは多幸感をもたらす神経伝達物質だ。
人と人とが助け合う姿を見るだけで、人は幸せな気持ちになる。
もちろん見るだけでなく、実際に自分が行動しても幸せな気持ちになれる。
お年寄りや妊娠した人のために電車の席をゆずる。
前を歩いている人が落とし物をしたので、声をかける。
小さな親切をした後の、なんとも言えないほっこりした気持ちは
誰にでも経験があるだろう。そのとき本当に幸せを感じる物質が分泌されているのだ。

(中略)

人は群れで生活する社会的な動物だ。だからこそ、人のために何かすることで、
幸せを感じるようにプログラムされている。

【出典:ぼくたちに、もうモノは必要ない。佐々木 典士 著】
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ボランティアとか
自分からしてみたいと思ったことがない。
人のために役に立ちたいという気持ちがとても少ないのだと思う。

これもまた矛盾するようだが
自分のブログのヘッダーに書いているが

「どんな本より自分の言葉に支えられてきました。
 私が私のためだけに書いてきた言葉が
 もし誰かの心にぽっと小さな灯を点すことができたら。
 私が私のためだけに生きているよりずっと嬉しいことだと思います」

これは本心だ。

なので、私の中にだけはこのデフォルト親切アプリが
インストールされていないというわけではなさそうだ。

この前に書いてあった
「人に共感するミラーニューロン」にも同じような違和感を感じた。
「人のために何かすることが実際に幸せにつながることは、
 科学的な分野で解明されてきている」のだそうだ。
子供のためなら辛い仕事も頑張れる親の気持ちとか
理解したいとすら思ったこともなかったし
ましてやそんな経験は自分は絶対したくないとも思っていた。
私は自分の親とは違う、自分のためにお金も時間も使う人生を送りたいと
子供の頃からずっと思っていた。
ただ「人が小説や漫画、ドラマ、映画などにハマるのもこの働きが原因」との事なので
こちらも私にだけこの神経細胞がないわけではなさそうだ。

ただ今でも会社にいるときなど
楽しそうな人を見るとイライラする。

前に自分のブログで書いたが
楽しそうな狩野英孝さんを見ると
こちらまで楽しくなるのだが。

「虎に翼」をかなり真剣に見ているが
よねさんを演じる土居志央梨さんの演技が本当に好きだ。

怒りを内包したよねさんを本当に上手に演じている。
私は勝手にこのよねさんに共感を感じる。
私も恐らく周りから見たら
こういう風に怒りを内包しているように見えるだろうと思う。

よねさんとは抱えるものが全く違うから
勝手に共感などしたらそれこそよねさんに激高されるだろうが
人の中にある怒りというのは
どんなに時が流れてもなかなか消えるものではないと思う。

私が社員で働いていた30年間抱えていたあの怒り、憎しみは
きっとまだ癒えていない。
私の中にずっとあって燃え続けている。

職場を変えても、就業形態を変えても
小さくなっていたような気になっていたその怒りの火はまた大きく燃え続ける。

だから職場で楽しそうな人をみるとイライラするのだろう。

モノを捨てることで、私の中の怒りも減るのだろうか。

この本を100%理解はできていないが
今回の人生の中で私は軌道修正したいことがまだまだたくさんある。