「ぼくたちに、もうモノは必要ない。」からあと少し。
こうやって本を返却するまでの間に少しでもというところ、
ミニマリズムじゃないなーと思いつつ。
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ホコリや汚れは自分自身
部屋に溜まっているのは、ホコリや汚れではない。
ホコリや汚れを放置した「過去の自分」が溜まっているのだ。
「やるべきときにやらなかった自分」が堆積しているのだ。
ホコリや汚れは嫌なものだが、何より嫌なのはそれを放置した
「過去の自分」と向き合うことになるからだ。
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夫の皮膚病が発症してから何年経つだろう。
彼がいる間、私は家にいる間じゅう掃除しないといけないと思っていた。
家の中から彼の痕跡を消す。
そのために家にいる間じゅうずっと掃除していた。
彼が動けば皮膚のカケラが落ちる。
薬を塗った体でソファに転がるから
合皮のソファは薬のベトベトと彼の血、
皮膚のカケラがフケの山のように
奥の方まで堆積している。
家の壁は白いが
あちこちに血痕がついている。
それをこちらも血眼になって(なんかうまいこと言ったって感じ出てるな・・・)
落とす。
私は掃除が好きなのではない。
きれいな家が好きなんだ。
砂のように降り積もったヒフのカケラのある家では
全くくつろげないのだ。
ちょっと物を置こうかなと思っても
うっかり置いてはいけない。
まずそこにヒフのカケラがないか見る。
カケラが全くない場所はないので
まずそこを掃除する。
そしてものを置く
ちょっと座ろうかなと思っても
うっかり座ってはいけない。
ヒフのカケラを除去してから座る。
何をするにも必ずまず掃除しないと
取り掛かれない。
自分のためだ。
彼のためにやっているわけではない。
youtubeで
80代元気ばあちゃんという人の動画を見たことがある。
この方を見ていると
歳を取ったらもうきちんと掃除したりするのは無理だなんてことはないのだと
つくづく思う。
私がとにかく実家を出て
いつか自分の家が欲しいと熱望していたのは
ここ(実家)は私の家ではない。
私の両親の家だ。
だからいつも汚くて
物が散乱していて
それが嫌で私が必死で片付けて掃除しても
すぐに元通りにされてしまう。
でもそれは仕方がない。
ここは私の家ではないから。
私はやっとずっと熱望していた
自分の家を持つことができた。
私の大切な家。
ずっとずっと私が心の底から欲しかった
私の家。
この私の大切な家を汚すものは
私の敵。
私の家を私の敵から守る。
私にとって日々の掃除とはそんなものになっていたと思う。
先述の80代のおばあちゃんの動画を見ると
自分の掃除がどれだけできていないかを
思い知らされ、そして見なくなった。
この方は素晴らしい。
私は素晴らしくない。
でもこの動画を見ていたとき
はっきり思ったことがある。
こんな風に大切に手をかけてもらった家は
必ずやこのおばあちゃんを守ってくれると。
私も
私を守ってくれるのはこの家だと思っていた。
雨や風や知らない他人や
そんなものから私を守ってくれる。
私を守ってくれるこの家を
私が守る。
私は色々と間違っている。
極端な人間だと思う。
軌道修正が必要だとわかっていても
そのまま突き進んでしまうこともたくさんあった。
私の人生はほぼ間違いだらけだったと思う。
いつも今死んだら
ほとんど嫌なことばかりだった。
だから今死ねない。
そんな風に生きてきたといってもいいだろう。
間違っているとわかっているなら
今度はなおそう。
今幸せを感じるためにできることをしよう。
佐々木さんの文章を読んでいると
まだまだ普通より物の多すぎる家ではあるが
少しだけましな人間になる道を見つけた気がする。