タイミングが合い
ずっと読みたかった
「ぼくたちに、もうモノは必要ない。」を読んだ。

実家に行く途中の縁もゆかりもない土地の公民館に
併設された小さな図書館分館。
私の家からは車で行ってもずいぶんと離れたところにあるが
ここもまだ市内。
夫がここで本を返却するというので
私も一緒について行った。

そこにずっと読みたかったこの本が置いてあった。
なぜだかうちから一番近い
市内では一番大きな図書館にこの本は置いていない。
借りるなら事前に他の図書館から取り寄せてもらわなければならず
うまくタイミングが合わなかった。

私は本とCDだけはまだ売ったことも捨てたこともなく
買うと増えるだけなので

ここ数年、出来る限り
本は買わない。借りることにしている。

一時期電子書籍をためしたけれど
やっぱり私は紙の本が好きだ。

それでこの本。
本当に良い本だ。

自分の人生に影響を与える本というのがあると思うが
これはまさにその中の一冊といえる。

返却するまでの借りていられる期間中
もう何度も何度も読んだ。

一冊の本を読んで
たとえ1フレーズでも心に残る一文があれば
その本に出会えた喜びを感じるが
私がこの本の中で一番心に深くささったのが
次の一説だ。

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誰もがただの「人」

 モノを減らしたぼくは、自分に対する認識が変わったと思う。
もはやぼくはほとんど何も持っておらず、
普通の服装をしていて、その辺をぶらぶら歩いている、ただの「人」だ。
何も持たず、池で泳いでいるカモやカメと、
もうほとんど同じようなものだ。

(中略)

 たくさん持っている人、輝くような才能のある人と会っても、
自分を卑下することもなく「普通」に接することができるようになった。

(中略)
人をただの人として見られるようになった。
もう誰かに対して、自分を恥じることもないだろう。
【出典:ぼくたちに、もうモノは必要ない。 佐々木典士 著】

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自分は池で泳いでいるカモとほとんど同じようなものだ


この一文が本当に気に入った。

そうかー、私は池のカモとほとんど同じようなものなんだ。

そう思ったときのこの心の軽さ。
楽な感じ。

これはこの前に出てくる

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何者かになりたまえ!という強迫観念

 特に若い世代は
「たった1人のかけがえのないあなた」なんだから
「個性的でありなさい」そして
「何かを成し遂げなさい」というメッセージを日々受け取っていると思う。
何者かになりたまえ!という強迫観念だ。
ぼくもそんな風にずっと思っていたし、
何者にもなれないことに苛立ってもいた。

 モノを捨ててぼくが思うのは、何かを成し遂げたり、
何者かになる必要はないということだ。
いつもの家事を、毎日の生活をまっとうするだけで、
自分が好きになれ、充分な喜びを感じられる。

(中略)

 公園の池で毛づくろいをしているカモを見る。
カモはただ毛づくろいをしているだけで、
何者かになろうと肩に力が入っていない。
カモはキャリアを積み上げようとあくせくしたり、
仲間のカモに媚びたりもしない。
ただ水浴びをし、毛づくろいをし、生活しているだけだ。
本当はそれで充分なのだ。
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から読むと益々よくわかる。

私は池のカモとほとんど同じようなものなんだ。

そう思うと
自分はちっぽけでつまらない存在なんだという意味では決してなく
本当は自分はただの自由な存在だったんだと気付く。
そして自分だけじゃなく
周りの人もみんな、素敵だなと思うあの人も、嫌いなあの人も
今たまたま電車に乗り合わせただけの知らないあの人も
大差はない。
みんなただの人で、カモと大差がない。
そんな風に思うと心底楽な気持ちになった。

今の私にこれ以上好きな言葉はない。

佐々木典士さん、
こんな素晴らしい表現をしてくださってありがとうございます。
それこそ、佐々木さんのおっしゃる

「ぼくはいつもぼんやりしていた頭にかかっていた「もや」が
少しずつ晴れていくのを感じている」
という感じか。

私はまだほとんどモノを捨ててはいないが、
ゲームとネットサーフィンをやめた。

ネットは自分が調べたいものを調べるだけ。
メールは件名を見て不要と思えば読まずに捨てる。

そうしたら佐々木さんのおっしゃるとおり
「時間」ができた。

できた時間で眠れる喜び。
頭の中にあるものを全部書き出す喜び。
佐々木さんの文章を読む喜び。

そうかー、これが私が欲しかったものだったんだ。

静けさの中にある落ち着き。
穏やかさ。
静かに満たされる感じ。この感じ。

今、こうやって部屋から一歩も出ずに
誰にも会わずに、
こうしてこの感じにずっと浸っていられたら
それこそずっと私が願い続けている
「心穏やかに生きる」ということを持続できるだろう。

問題は、一歩外に出た時だ。
一歩外に出れば
私を苛立たせることは数限りなくある。

その時にこの「感じ」をどれだけ維持していられるかだ。
それは佐々木さんのおっしゃる

「今」を「感謝」し続ける。
「今」を「肯定的に見続ける」という訓練なのだと思う。