前回の続き
思いつくままに書いていたので
自分でも何を書きたくて書き始めたのか
わからなくなってしまっていたが
そう、本当は
仕事の事じゃなく
もっともっと個人的な事を書こうと思って
書き始めたんだった。
ブログという匿名性のある所でも
本当に思った事を書くのに
憚られる事がある。
今でも書けていないこともある。
その一つについて
書こうかなと思って書き始めたのだった。
7月の3連休に義祖母の法要があった。
飛行機代はMAXに高い時だったが
そんなことより自分を大切にしようと思った。
飛行機代はもちろん自腹だ。
私が入院していたときも
手術したときも
全額自分で払った。
祖母が具合が悪いと聞けば
何を差し置いても
飛んで関東から九州まで帰る夫だが
私の入院、手術は
事前にスケジュールがわかっていたから
入院日と退院日だけは休んで
送迎してほしいと
前もって頼んでいたのに
ぎりぎりになって
休めるかわからないと言い出して
だから前もって言っていたのにと
入院直前でまた喧嘩をする羽目になった。
夫の家系のご先祖様にとっては
私は全く気に入らない存在だろう。
夫の実家に行くのが嫌で嫌でたまらないし
今回も法要だけ出て
最短で一人で帰ってきた。
夫はご時世で色んな場所で働く事が可能になり
実家でテレワークしている。
義祖母の容態が急変して
最期が近い時にも
ずいぶんと長い間実家で仕事しながら
最期を看取ったのだった。
夫は祖父、祖母と特別な絆で結ばれている。
長男として洗脳のような教育を受けて育ち
祖父母の思うままの良い孫に育った。
夫は実家にとって
本当に良き孫、良き息子だ。
義母にとっては息子ではなく
唯一信頼している「男」
恋人なのだ。
その孫がまさか
関東に就職すると言い出すとは
誰も思わなかっただろう。
誰もが九州から出ることはないと思っていただろう。
私もここまで故郷に深い愛というより
もう執着とも思えるほどの強い思いを持っている
この人が
よくもまあ関東に出て来たものだと
出会った頃から思ってはいた。
関東に来てからも
九州のラジオを聞き続けているし
自分が住んでいる都市の広報は全く見ないのに
地元の広報をネットで必ず見ているし
ふるさと納税ももちろん九州
この人は可能なら九州に移住して
仕事をしたいのだろうと思う。
だから定年後は恐らく九州に帰りたいだろう。
今回も2週間近く帰省している。
私の両親も
こないだもそれくらい帰省したばかりなのに
大丈夫なのか心配していた。
休暇を取っているわけではなくて
向こうで仕事しているからと伝えたら
同じ事を話してたって。
あの人は九州に帰りたいんだろうなって
そしたら私も行かなければいけないのかなって
そうしたら一人でどうするんだろうと
「もう、絶対お父さん達
そういう話してると思った!
そんな心配しなくていいから
毎日楽しくお過ごしください」と母に言ったら
「楽しく過ごしてもいないんだ」って。
私の実家は80代の夫婦二人だけで暮らしている。
そりゃあ色々あるだろう。
優しい2人だけど
優しいからこそ、
お互いの気持ちもわかるし
ずっと一緒にいれば
気詰まりもするだろう。
私だけ先に帰ってきて
母「寂しいかい?」
私「ううん、ほっとしてる」
そうなんだ。
私が社員の頃、精神を病んで休職していた2年間、
あの時が私の人生で一番幸せな時だった。
あの頃はまだコロナ禍前で
夫も毎日会社に行っていたし
平日の昼間は自分一人で好きなように過ごせた。
その日一日を自分でデザインできるということが
こんなにも幸せなことなのかと
あのときしみじみ思った。
休日も夫の行きたい所へ付き合い
買い物は何時に出なくていけない
ちっとも休日感がなかった。
これで子供なんかいたらもっと最悪だ。
自分は絶対に子供は欲しくない。
それになんといっても
この人の子供は絶対に欲しくないと
かなり早い時点で思っていた。
結婚してすぐの頃
友達とちょっとこんな話をした時
「普通はそういう人とは結婚しないんだけどね」
とさらっと言われたのを
すごくよく覚えている。
新聞の人生相談で
「私は子供が欲しいと思いません。
どこかおかしいのでしょうか」
というような相談に
「まだこの人の子供が欲しいと
思えるような人に出会っていないだけでしょう」
と書かれていたのもすごく心に残っている。
自分は今の家を終の棲家にしたいと思っている。
夫が九州に帰ると言っても
それは夫の自由だからそうしたらいいと思う。
でも私はここで一人で暮らして行きたいと思うだろう。
もっと年を取って
身体が思うように動かなくなったら
考えが変わるのかもしれないけど
結婚してから今まで
まだ考えは変わらないし
子供を作らなかったことだけは
本当に良かったと思っている。
今、毎日を一人で過ごして
休日は本当に幸せだと思う。
一人暮らしのシュミレーションで
歩いて近くのスーパーに買い物に行って
将来もっと年をとっても
歩いて行かれるか、
そんなことを考えながら
やはり健康だけは気を付けなくてはいけないと
考えながら歩いていた。
自分の好きなものや
自分が何に幸せを感じるのかを
注意深く見てみる。
近くの住宅街にオナガが群生している木がある。
私はそこでオナガの群れに出会ったとき
心の底から幸せを感じた。
私は鳥が好きだ。
特に好きなのは
シジュウカラとオナガだ。
家の近所にオナガが群生しているなんて
幸せこの上ないことだと思った。
私は誰かに指図されることが
どんなに小さなことでも
本当に腹立たしく思うんだなと気付いた。
本当に自分は結婚には向いていない人間だと思う。
自分勝手な夫と
自分勝手な私
それぞれ勝手に生きているから
やってこられただけで
子供を一緒に育てるなんてことは
到底できなかっただろう。
いつ何が起きるかわからない
私の両親は
夫は祖父も祖母も長生きだったから
夫も長生きするだろう
九州へ私も行くことになったら
夫には長生きしてもらわないと
私が一人で寂しい思いをするだろうと
話していたという
「大丈夫。
私、九州へは行かないし
ここで一人で暮らしていくから」
こんなことを言ったら
それはそれでまた両親が心配してしまうが
これが私の本心だ。
母も父もお互いのことをとても思っているし
お互いの気持ちもわかるけど
お互いに疲弊している。
「もう二人で支え合っていくよりほかないから
喧嘩をしたって、二人でやっていくしかない」
これは私の両親がいつも言っていることだ。
傍目には仲の良い夫婦に見える。
それは私達も同じ事。
私たちは仲が良くて気が合うと両親は思っている。
「それはお父さんとお母さんに
心配かけないように
いい所だけを見せてるからだよ」
と私は言っているけど
母は笑っている。
本当なんだよ。
でも、母は「私達もだよ」と思っているのかも。
夫は肝心な事には常に「逃げる」という一択で
生きてきたような人で
話し合いができないので
深い話をしたことがない。
というか出来たことがない。
いつも「(私に)任せた」と言って
逃げられる。
子供がいたら、したくない話やしづらい話も
しないわけにはいかないだろう。
そういう意味でも
私は最初から
この人と家族を作っていくのは無理だとわかっていた。
大人二人だけなら
勝手に生きていけるし
将来別々に暮らすことになってもいいけど
子供がいたら
その子の人生を台無しにしてしまう。
私が夫と結婚したのは
「自分が自分でいられたから」
この理由だけだ。
私は誰といても疲れてしまって
特に好きな人の前では
その人のいいようにしてほしいと思うあまりに
自分が自分でいられなくなってしまう
好きな人の前で自分らしくいられる人が
本当にうらやましかった。
そういう人はきっと
自分に自信があるのだろう。
だから結婚する人は
自分が自分でいられなくなってしまうような
大好きな人ではなくて
ちゃんと自分を保っていられる
自分はこうしたい
自分はこう思っていると
相手に伝えることができて
自分の悪いところや、
カッコ悪いところも
そのまま出せる人にしようと思った
夫と出会った頃も
私は会社でかなり人間関係で戦っていて
(思い返せば戦っていない時なんて
あったのだろうか
今の職場でさえ
こないだ辞めた同僚に
『いつも戦ってるよね』と言われていた)
夫の前では鼻水たらしながら
号泣したこともあった。
それで自分はこの人で迷いがなかったのだ。
どんなに健康に気を付けていたって
いつどんな拍子に命を失うことになるかもわからない。
ニュースに出てくる人だって
昨日まで他人事だと思って見ていたニュースに
今日は自分が当事者として出ているなんて
思ってもいなかったはずだ。
先の事を考えるのも大事だけど
今が大事
私は死にたいと思ったことはない。
だから自分はうつ病ではないはずだと思っている。
私が死にたくないと思うのは
いつも「今死んだら
辛いことばかりの人生だったと思って
死ぬに死ねないから」と思うからだ。
「私の人生は良い人生だった」と
思える日が来るのだろうか。
夫のおばあちゃんは
いつも「感謝、感謝」と言っていた。
だから100歳まであんなにお元気で
出会った人が
みんなおばあちゃんを好きになってしまうような
魅力があったんだろう。
自分の中でタブーだったことを
初めて書いた。