やっと週に1回ですがリモートワーク出来るようになり
その前後は重たいPCやら資料やらを
持って帰って、また持って行かなくてはならなくて
リモートワークは大歓迎だけど
昨日の朝もこの多い&重い荷物を持って出社しました
出来れば日傘は差したくないなと思ったけど
やっぱりこの日差しには勝てず
3つもぶら下げてる重たいカバンから
日傘を取り出し、でもやっぱり差すと差さないでは大違いだよね~と
日傘を差して歩いて行きました。
職場のあるビルでまずトイレに行って
日傘を畳みなおして、しまおうとしたら
傘袋がありません
どこかに入ってるだろうと思ったけど
3つのカバンをどんなに探しても見当たりません
今入って来たビルの入り口付近を探しても
落ちていません。
今来た道を戻る時間もありません。
もう少し探したら出てくるかもと
微かな期待を込めて昼休みにもう一度探してみたけど
やっぱりどこにもありません
傘袋って良く落ちてるのを見かけます。
確かに落としやすいけど
これってなくなると地味に困るよねといつも思ってました。
ここまでジャストサイズの代品を探すことはまず不可能。
かといってサイズ違いものを代用しても
使いづらいし
仕事中もなんだか気持ちがふさいでました。
(まあこれはいつもですが)
で、仕事が終わって
いつも行きと帰りは違う道を通るのだけど
もしかしたら落ちているかもと
朝来た道を戻ってみました。
でも落ちてはいませんでした。
かれこれ7時間くらい経っているから
無理もないか。
それに多分、家を出てすぐ落としたのだと思う。
駅から会社までだったら人も多いし
落としたらすぐ誰かが気付いてくれるかもしれない。
でもベストは尽くそうと決めてたので
まず駅前の交番へ。
「事故か事件のため不在です」と貼り紙があり
交番に入れません。
1つ目の期待は×
次は駅。
今差してきた日傘を見せて
「落とし物で傘の袋は届いていませんか?」
若いお姉さんだった。
「もしもそれらしき物が見つかった時のために
書類を書いて頂くのですが
身分証明書はお持ちですか?」
「はい」
で、奥にいるこれまた若いお兄さんに
落とし物で傘の袋はないか聞いている。
お兄さんが
「ブランドですか?何か書いてありますか?」
付録だったけど一応ブランド名が傘にも書いてあるので
それを読み上げると
「はいはい」
「ん?あるの?(心の声)」
お姉さん
「お客様のものと思われる落とし物が届いていますので
こちらの書類にご記入お願いします」
で見せてもらうと
本当にそれは私が今朝なくした傘の袋でした
お兄さんとお姉さんに
「お忙しいのにありがとうございました」と深々とお辞儀をすると
2人ともニコニコしながら会釈してくれた
その日の朝、電車の中で向かいに座っていた若い女の子が
小さなポーチを落として
私の二つ隣に座っていた男の人が教えてあげようとしてたら
自分で気付いたようで自分で拾っていて
その後その子と私が同じ駅で降りようとしたら
またそれを落として
今度は私がそれを拾ってその子に渡したのだった。
「さっき落としたのに
もうちょっと落ちない所にしまおうとか思わないのかな」と
ちょっと思ったけど
そんなに大事な物ではないのかもしれない。
その時ちょっと頭をかすめたのが
以前習っていたヨガの先生のメルマガだった。
「徳を積む」というようなテーマの回だった。
----------------------------------------------------------
「徳を人に分け与えるには具体的にどのようにしたら良いのでしょうか」
(中略)
『自分が徳を差し出せるようになったとしても、一方的に差し出し続ける自信はない』
これは、自分の中に「徳のストックが少ない」ので、自信がない気持ちになるのだと思います。
そして、ちょっとカラいことを言いますが、このように思っている時というのは、
まだまだ心のどこかで「差し出すこと」に損得勘定が働いているのだと思います。
「一方的に」という言葉が付いていることでそれがわかりますね。
ここで全部出してしまったら私の分が減る、とか、
ここで与えてしまうと後でまたいいように頼られたり付け込まれたりするかも、とか。
これは実際にはまだ「差し出して」いないんですね。部分的に「あげてる」だけ。
つまり、与えることは「自分の成長につながっている」という事実を受け入れていなくて、
まだ「かけひき」の中にいるんです。
人は、自分のその時の力量以上のことはできません。
ですから、その時できる限りのことをしていればよく、
その積み重ねで器が大きくなり、できることも増えていきます。
そこで出し惜しみをしてしまうと、それ以上の人間にはなれないということです。
「良きものを惜しみなく差し出す」ことで徳が積まれるので、
自分の中の「良きもの」や「誰かの役に立てそうなこと」を、
仮に自分にできることが少なかったとしても、
そこであえて惜しみなく差し出すことで自分がパワーアップしていきます。
その積み重ねでより多くの喜びや知恵を人に与えることができるように育っていきますよね。
ですので、自信がない時ほど惜しみなく差し出すのが「修行」ですね。
【出展】師岡絵美里先生のメルマガ
--------------------------------------------------------------
ここまでハッキリ覚えていたわけではないけれど
「少しは徳が積めたかな」と
その子に渡した後に思ったのですが
今改めて読み返してみると
私にこのことを知らせるために
このことが起きたんだなと思えるほどでした。
これにはまだ続きがあり・・・
長くなるので次回に続きます。