目は心の窓というけれど
本当にそうだなーと最近特に思います。
ちょっと電車で見かけた程度の人でさえ
その人の目を見れば
その人が自分に自信を持っているのか
自信なさげな人なのかくらいは
なんとなくわかるような気がします。
まあ確かめようもないけれど
「自分がそう思うならそうなんだ」ということにしようと
これもここ数年こんな考え方になってきました。
人の目を見る理由に
・自分に自信があるから
・相手が自分の話を理解しているか確かめるため
なんていうのがあるようだと
以前にもブログで書かせてもらいましたが
目と目を合わせた時に
・私の声が聞き取れなくて「ん?」と聞き返すような優しい目
・ちょっといたずらそうな目
何も言葉を交わさなくても
目と目で通じ合う(工藤静香か!)
そういうちょっとした瞬間も
日々の小さな幸せですが
私が最近何よりも幸せを感じているのが
目と目を合わせた時に
「あ、今お互いが通じ合った」と思う時です。
それこそ確かめようもないのですが
これは理屈ではなく
また、「そう信じたい」というより
この自信のないマイナス思考ばかりだった私が
「確信している」とさえ言いたくなるような「感じ」なのです。
1秒か2秒
それくらいの間のことだけれど
時々そんな風に思える時があり
人生でこんなに幸せと思えることがあるかなとさえ思います。
以前心理療法を学んでいた時に知った言葉に
「ゲシュタルトの祈り」というのがありますが
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私は私のことをします
あなたはあなたのことをしてください
私が生きているのは
あなたの期待に応えるためではありません
あなたもまた、私の期待に応えるために
生きているのではありません
あなたはあなた、私は私
もし、私たちの心が通じ合わなくても
それは仕方のないことです
そして、私たちの心が
たまたま触れ合うことがあれば
それは最高に素晴らしいことです
【出展:ゲシュタルト療法の創始者
フレデリック・バールズの「ゲシュタルトの祈り」】
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これのもっと強烈な「感じ」。
人と心が通じ合ったと思えることほど
幸せなことはないと、今は思っています。