最近せみの死骸をよく見かけます。

 

まだまだ暑いけれど

夏は確実に終わりに近づいているのだなと感じます。

 

通常、何かの死骸を見ると
怖いとか、かわいそうとか思うけど

せみに限っては違う感情が湧いてきます。

 

ついさっきまで鳴いていたんじゃないかと思うほど
どこひとつも欠けていない完璧な姿形のまま

ごろっとひっくり返っている。

 

ひっそりと人知れず死ぬのではなく

堂々と死んでいるというか

 

そういう姿に遭遇すると

「いのちいっぱい生きたんだね」と

勝手に。

 

せみははかない命の例えにされることも多いけれど

私にとっては

こんな小さな身体から

どうしたらあんなに大きな音がいうほどの存在感で
昼間だから鳴く

というように

何一つの迷いもなく鳴いているように感じて

 

ある大雨の日

いつもお昼を食べている職場の会議室からは

当たり前だけどいつも聞こえるせみの声が全然せず

こんな日はせみはどこでどんな風に過ごしているんだろう

なんて思ったこともありました。

 

その生き様はとても潔く

たくましく

私は歴史にはとんと疎いのですが

いつだか見たドラマで

阿部寛さんが演じた平知盛(だったかな・・違ってたらすみません)の

最後のシーンがとても印象的で

有名なセリフのようなんですが

「見るべきものは全部見た」というようなことを言って

入水するんです。

 

せみの最後を見ると

なんだかあのシーンを思い出します。

 

迷いなく

命いっぱい

この夏を生きたかな

 

あなたの最後は私が見ましたと

心の中でせみに言います。

 

亡骸を葬ったりもせず

そのまま通り過ぎてしまうけど

一瞬の弔いの儀式です。

 

私はどうかな

この夏を命いっぱい生きていると言えるかな