前回からの続き
前にもブログに書いたが
以前より100円ショップと300円ショップでは買ってもよい。
と自分に許可を出していたので
そこでは自分のための買い物をしていたが
(もちろん今でも大好き。
それでも300円でも躊躇してしまって一度店を出た私に
ある人へのちょっとしたお礼で
500円位の物を買おうとしている自分に気付き
なんで誰かのためになら500円出せるのに、
自分のためには300円出せないのと思って
戻って買った。)
服も会社が吸収合併されてから
好きな服は着ていけないし
(その前は服装自由だった)
好きな服は休日しか着ないのだから
できる限り買わないで昔の物を着るようにしていたし、
(断捨離しているっていうのもあるが
入れ替えたっていい!)
自分のために買い物をするということを
かなり厳しく制限していた気がする。
そうそう、この手の話は
ちょうど本田晃一さんがされていたんだった。
私が長年本当は欲しかったけど
でも絶対に必要というわけではないしと
諦めてた腕時計を
なんとネットで購入という
私にとってはかなり思い切った買い物だったが
なんだかここでたがが外れてしまったようだ。
色んなお店で買うほどポイントがたまるという
キャンペーン中だったというのもかなりあるが
今まで我慢していた分、
久々にたくさんの買い物をしてしまった。
(してしまったと思っているってことは
まだ完璧に許可はしていないんだな)
春は私が一年で一番好きな季節というのもあるが
服もたくさん買ってしまった。
そしたら以前は「服を買うために働いていた」自分を思い出した。
私は服が好きで
お洒落が好きだったんだって。
仕事に自信が持てなくなって
周りに心を閉ざして
帰ることと、休むことだけが心の支えとなって働いている今、
「会社の日だってお洒落を楽しんだっていい」
「仕事ができなくたって、
それと私の価値は何の関係もない
(これは本で読んだ受け売り。言い聞かせてる。
でも先日のブログに書いた整体の先生の言葉を借りれば
誰かが自分の生存を望んでいてくれたら
それだけで私には価値がある。
もっと言ったら誰も私に対して何も望んでいなくても
私が私であるだけで価値がある。
これは銀色夏生さんの言葉だ。)」
と思いたい。
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人ってそのままで別に何かになろうとしなくても
そのままで個性的で誰とも違うでしょ?どんな人も。
素晴らしいと思うんだよね。
すべての人がその人であるっていうだけで。
それは生まれたままでいいの。
生まれた後に、自分以外のものになるために
いろんなことをやらなくてもいい。
【出典:「本当に自分の人生を生きることを考え始めた人たちへ / 銀色夏生 著」】
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なんだかいつもと違う
少し力強い自分を感じた。
そして純粋に買い物は楽しいと思えた。
まだ早いけど妹への出産祝いや
これもまだ早いけど退職する方へのプレゼントなど
自分のためだけでなく
自分の大切な人に対しての買い物も含めて。
私が普段する買い物は日常の食料品だけだ。
その買い物は行くのも面倒なくらい「義務」だ。
食べ物もお金を出せば買えるって
とてもありがたいことだし
こう言っては悪いのは承知の上だが
本心は楽しいものではない。
ここ10年くらい、そう今の部署に来てからの私は
時間とともにどんどん自信をなくし
どんどん心を閉ざし、
会社では息をしていないくらい息をひそめ
存在を消し
少しでも早く帰ることだけが心の支えだ。
人の目に怯え
自分を1mmも表現できず
お金のためにやりたくないことをやる。
仕事をすればするほど
自信を失う。
それどころか今は
私という存在そのものを否定されるくらいの
ひどいことを言われても
それでもお金のためだけに
我慢している。
これも誰かが言っていたことだと思うんだけど
「自分にはお金を使う価値がない」と思っていたんだろうな。
デパートで買った服を着ていると緊張するし、
良い物は身の丈に合っていないと思っている。
それは確かだ。
でも自分の好きな服くらい着たっていい。
会社のルールに逸脱しないように気を付ければ。
自分のために腕時計だって買っていいんだ。
今、使っているのは10年以上前に
夫がクリスマスの時に買ってくれたもので
(当時はそんなことしてくれていたんだな~)
本当に気に入っているのだが
ここ数年、性能的には当時あったのかなかったのか
・電波時計
・電池交換不要
なものにとても惹かれていたのも事実だ。
(デザインは今使っているものが最高に気に入っている)
自分のためにお金を使うことを許可すると
自己肯定感が上がるのかな。
「自分にはお金を使う価値なんてない」と思っていた
たがが外れるというか。
(日本語の使い方おかしいかな?)
「どんな私でも価値がある」
心屋仁之助さんがよくおっしゃっていて
自分もそう言い聞かせているのだが
なかなかそう思えなかったのに。
自分に甘く
自分をゆるして
私は自分を受け入れたい。