前回歯医者に行った時(2月)、治療の最後に
ご担当頂いていた衛生士の先生が
6月にお辞めになるとご本人からお聞きしました。

私はこの先生を本当に信頼していて
良い先生に巡り合えて本当にラッキーだったと思っていて
これまでにもそれを先生にお伝えしてもいました。

なのでとてもショックでした。
でも先生はお仕事を辞められるのではなく
更に上を目指しての転職とのことでした。

私から見たら
もうこれ以上上を目指すところなんてあるのかなと思うくらい
妥協のない完璧な仕事ぶりで
「これがプロのお仕事なんだな」と
毎回治療を受ける度に心が洗われる思いでした。

先生と少し話して、二人とも少し泣きました。

次回(6月)が先生の治療を受けられる最後になります。
その時にちょっとしたプレゼントとお手紙を渡そうと思い
毎年この時期(3月)、夫が実家に帰省するので
一人になれるこの時にまだ早いのですが
先生に手紙を書きました。

そこで、以前読んだ整体の先生の言葉を引用したくて
久々にその本を手に取りました。

この本は読んでいるうちに
先生の考え方にとても好感を持ち
がん闘病中の父にも同じ本を買って送ったほどです。

私はあまり自分が良いと思ったものを
人に送ったりしないのですが
(人それぞれ考え方が違うし、
 自分の考えを人に押し付けたくない)

普段本を読まない父にも
これは励みになるのではと思い
私にしては珍しくおせっかいなことをしました。

先生の手紙に引用したのはこの部分です。

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「先生が若い人で、よかったよ」
(中略)
「先生は俺よりずっと若いから、
 俺が死ぬまで面倒見てもらえるでしょ?」
(中略)
誰かが自分の生存を望んでくれる。
こんなたしかな生きがいは、そうそうありません。
何のあいまいさもない
「生きる理由」です。

【出典:「首ポンピング」で健康になる / 永井峻 著】
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この文章を読んだとき

この衛生士の先生のことを思い浮かべていました。

この文章は最初に読んだ時にぐっときて
そしてこの本を父にも送ろうと強く思った箇所でした。

そして今また読み返してまたぐっときました。

衛生士の先生のように
自分のお仕事に自信を持っていて
歯科医師の医院長からも信頼され、
そして私のような患者からも信頼され、
こんな風に自分の能力を発揮することで
ご自分はやりがいがあるだろうし
周りも幸せで
きっと天職なんだろうなと思っていました。

こんな風に働けたらどんなにいいかなと。

でも、整体の先生の言葉を読み返して

私には出来ることと、出来ないことがあって
会社で優秀な人材でなくても
それが私だと思えました。

「自分を受け入れる」ことは私の長年のテーマです。
そのために本当に色々なことをしてきました。

もう何年やっているでしょう。

20年近くはやっていると思います。
昔は意識しなくても
自分を受け入れていたんだなとも思います。

誰かが自分のことを思い出したり
考えたりしてくれるって
本当にありがたいことだなとは
いつも思っていたけど

「いきがい」とか「生きる理由」とかいう風には思っていなかったなと
改めて思いました。

やっぱり、「いきがい」とか「生きる理由」って

「何かが出来る自分」だと思ってたんだなと。

本田晃一さんもよくおっしゃっているけど

「自分を受け入れるとは、自分のいいところだけ受け入れるんじゃないんだぞ。
 自分のよくないところも全部受け入れるんだぞ」と。

そうしたいけど、できないとずっと思っていたけど
先生に手紙を書きながら、
自分で問いかけて、自分で答えを出したような
そんな気がしました。

追伸:この日、お天気が良かったので
   私が歯医者に行きがてら夫も散歩するというので
   いつもと違う道を通りました。
   すると家の近所にこんな公園があったのかと
   初めて知った小さな公園がありました。
   そこには河津桜が青空に映えて
   とてもきれいに咲いていました。
   実はそこは歯医者の道一本隔てたところでした。
   会計の時に先生に
   「この道路の向こうにある公園で
    今、来る前に撮ったんです。
    先生もお時間あったら是非」と
   写真をお見せしました。
   こういうおせっかいはしない方なのですが
   先生がここに通われるのもあとわずか。
   そして来年のこの季節にはもうここにはおられない。
   だとしたら今しかこの花は見れないと思ったのです。
   先生もそこに公園があることを知らなかったそうです。
   それ以来、私のスマホの待ち受けにもなっていました。