心屋さんのおっしゃる
自分の最低なところ、ダメダメなところを
素晴らしいということにしてしまうというのが
やっと効いてきたのか?

何の前触れもなく
上司から私が新たに担当する業務の説明があった。

この仕事はトラブル発生未遂があったため、
防止策として新たに試みるものだそうだ。

上司からの説明はわかりやすく、
今の部署に来てから7年くらい経つが
初めて仕事をする前から理解できた気がする。

ここへ来てから自信を持って仕事をしたことがない。

とにかく仕事が嫌いで、会社が嫌いで、会社の人が嫌いで、
帰りたくて、休みたくて、本当は辞めたくて。

会議に出ても、周りの人たちを見ていても
ここでやってみたいことも、できることも何もないと思っていた。

こんな風に「わかった」と思えたのは何十年ぶりだろう。
いつもなんだかわからないうちにとにかく見切り発車して
実務をしていく中で「こういうことなのかな」という手探り状態だった。

特に今の部署では
「なんでもいいから急いでやれ。理解できなくてもいいから。」
やり取りは全部英語だから
どのメールが自分に関係あるのかもわからないし
 間違いがあったらどうするのか聞いたら
「どこかで誰かが気付くだろう」

その時点の対応で問題ないのか聞いたら
 「気付いた誰かが対応するかもしれない」
ということだった。

私にとってこういう仕事の仕方はとてもやりづらいものだった。
きちんとやり方や責任が決まっていて、それに沿ってできるものは
どこまでもきちんとする自信はあった。

入社したのは大企業だったから、そういう仕事だった。
入ってから7年くらいは順調に自信をつけていたように思う。
けれどこの20年くらいは、お金のためだけに
魂を削るように働いていた。

いくばくかの安定収入と引き換えに
自分はどんどんすり減って
望まない自分になっていることも気付いていた。

私にもできることがまだあったんだ。

しかもそう思えることが自分にとって嬉しいことだったんだ。

仕事をしたくないと思っていた。
でも自分ができることがあって、それをできるって嬉しいんだ、
自分ができることをして、自分でお金を稼げるって、嬉しいんだと
就職した約30年前、こんな気持ちだったのかなとも思った。

まさか今、自分がこんな気持ちになるなんて思ってもみなかった。
せめて60歳以降は絶対働かないということだけが心の支えだった。
まさにさとうみつろうさんの本に書いてあったとおり
「将来働かなくていいために、今働いている」のだった。
あと13年。
長すぎる。

13年もただやり過ごすことができるのだろうかと思っていた。
まさか今の自分にできることがあるなんて。

復職してから
人事からも上司からも
「今のあなたにできることは何もない」と言われているような気がしていた。
はっきりそうは言わないだろう。
そんなこと言ったとしたらパワハラになってしまうかもしれない。

でも私が望んでいるような
「きちんとやり方や責任が決まっていて、それに沿ってできるもの」
そういう仕事は今はもうないと
人事からも上司からもはっきり言われたことは確かだ。

自分の最低な部分をそれでいいということにしたら
もうないと思っていた自分にできることが
舞い降りたのかななんて
なんだかこじつけみたいだけど
ちょっとそんな風に思いました。