本田晃一さんのブログに

「人が最終的に欲しいのは感情だ」

というようなことが書いてあり
なんだかとても納得した。

私がこの考え方に初めて出会ったのは
心理療法を学びに行っていた時だった。

もう10年以上も前のことだが
その時この考え方を知ったときは
結構ショックだった。

欲しいものが感情?!
あまりに拍子抜けする考え方だった。

欲しいものを手に入れるために
お金が必要で
そのために毎日行きたくない会社に行って

会いたくない人に会って
やりたくないことをしてるんだよね?!
欲しいものが感情って・・・
それなら別にお金必要ないじゃん・・・

感情を感じないようにすることには
成功していたと思っていた。

20代の頃から既に身につけていたつもりだった。

感情がないって楽って思ってた。

イライラしなくて済むし。

でもマイナス感情だけじゃなくて、
嬉しいとか、楽しいとかいう感情もなくしていたみたいだ。

自分が何をしたら嬉しいのかも、楽しいのかも
わからなくなっていた。

断捨離を再開して、今までも何回か整理したはずなのに
洋服の多さに
「お金を無駄に使っていたな」と思っていた。

「安いからいいや」
「会社用に無難なの何枚か持ってないと着ていくものがない」

そんな風に、結構投げやりに買っていた服もある。

私は幼い頃から、経済的な事情で
自分の着たい服を着れなかった。
母が安売りのときに買ってきた服しか。

それで中学生の頃から
「自分が着たい服を着たい」という思いがとても強くなって

(中学は制服だったけど
 ごくたまに校外で私服を着ているときに
 何度か先生に会って、季節の服は基本1枚だから
 『その服お気に入りなのね』って言われたとき
 『こんな服全然好きじゃないよ。これしかないからだよ』
 と心の中でとても悔しかったのを鮮明に覚えている。
 先生は何の悪気もなかったのに。
 本当に悔しかったんだ。)

だから少しでも早く自分で稼げるようになって
自分の着たい服を自分で買えるようになりたいと強く思っていた。

休日も基本部活だから私服を着る機会はほとんどないのだけれど
年に数日ある休みに友達と遊びに行くと
可愛い服を着ている人が心底羨ましかった。

とだいぶ話がそれたが
現在に話を戻すと
大量な服の中でも
自分が「これ好きだな」
着ていると「嬉しいな」と思える服ももちろんある。

そういうのを買いたいというのが最終感情だと思っていたけど
なんで買いたいのかと言ったら
それを着たときの「嬉しい」という気持ちが欲しかったからなんだと
あるとき会社に向かってるとき、ふと気が付いた。

「まあいいか」と買ってしまったものもあるけど
「嬉しい」という気持ちになれるものを買ったこともある。

前者はずいぶん時間が経ってしまったけど
そんな気持ちで買ってしまっていたんだなということに気付けたし
後者は最終的に欲しい感情が手に入れられたのだから
うん、たくさんある服も必ずしも「無駄」ではなかったんだ。
(今期の服の断捨離はひとまず終了してます)

なんだか無理やりっぽいけど
お金のために働いてるのに
お金を無駄にしてたんだなと思ったので
忘れないように書いてみました。

そして書きながら思ったけど
小さい頃からの夢が叶って
自分の着たい服を自分で買えるようになっていたんだ。
それならもう値段に関わらず雑に服を買わないで
嬉しいと思える服を慎重に大切に買うようにしよう。