先日、シンプルライフ実践中のohanasiさんという人のブログを読んでいたら
なんだかすごく共感できた。
この方はゲーム機の方のゲームにかなり凝ってらしたみたいで。
私もやっぱりゲーム、断捨離しようと思った。
11/1から断捨離しようと思っていた。
111なんて新しいことを始めるのにぴったりだし。
脳を鍛えるゲームで一時代を築いた川島教授でさえ
自分のお子さんにはゲームはしないよう勧めていたという話は
ずいぶん前から知っている。
「ゲームはあなたの時間をいくらでも奪う」と。
全くおっしゃる通りだ。それもよくわかっている。
つまりアル中と同じようなもので
ゲーム中毒なのだ。
よくないことはわかっているけどやめられない。
ヨガの先生も言ってた。
「ゲームより睡眠の方が大事です」
わかっている。わかっているけどやめられないんだ。
じゃあどうしたらやめられるかっていうと。
自分で辞めたいと思うことだ。
辞められないというのは
辞めたくないということだ。
以前にも一度ゲームを辞めたことがある。
その時にも確かブログか何かに書いたことがあると思う。
「その世界に入って行かなければ、そこにその世界があったって
私にはないと同じだ」っていうようなことを自分で書いた記憶がある。
私がゲームをしようがしまいが
ずっとその世界はあるのだろう。
その世界があったとしたって
自分がその世界に入って行かなければ
それは私にとってないのと同じだ。
前にゲームを辞めたとき、そう思ったんだった。
なんで再開してしまったのかよく覚えていないけど
多分長期休暇か何かの時に数年ぶりにインしてみたら
まだその世界があったことに少し驚いて
そこからまた始めてしまった気がする。
ゲームをしなければ、私にはずいぶんたくさんの時間ができる。
普段できないと思っていることも
ゲームをやめればきっとできる。
会社を辞められたら
きっとゲームをする時間がもっと増えるだけだろう。
私はゲームをしたくて生きてるのかな。
そうなのかもとさえ思っていた。
それくらい毎日の一番の楽しみがゲームだった。
ヨガの通信講座を受けていた時も
ゲームの時間が減るのがすごく嫌だった。
ヨガをしなければその分ゲームできるのにとさえ思っていた。
どうして最近また考えが変わったのかというと
お風呂場のものが減って感じたことから
シンプルライフに関する記事を色々読んだからだ。
以前からミニマリスト、シンプルライフには興味があった。
断捨離も以前したことがある。
その時もすごく大変でもうしたくないと思った。
で、「もう1回やったから大丈夫」と思っていた。
そういうものではないんだな。
生きている限り、意識していなければ物はどんどん増える。
断捨離は一度したらそれで終わり、もう大丈夫というものではないんだ。
ある方のブログを読んでいてとても共感したのは
「買うのは簡単。
処分するのは本当に手間がかかる。
その手間を思えば今度買う時は慎重になる」
全くそうだと思う。
うちはもうだいぶ前からお風呂のふたを変えた方がいい状態だ。
お風呂のふたを買うのは簡単だ。
でもこの今の壊れたふたを捨てる手間を思うと
このままでいいやとずっと使い続けている。
こういう大物は捨てるのが大変と容易に想像がつくが
服やかばんなどは買わないように気を付けていても
それでも増やしてしまう。
先日、引き出しがいっぱいで
その中身を見たら、自分が在庫を全く把握していないことを
痛感した。
それがきっかけで「存在を忘れていたものは処分する」に
手を付け始めた。
まだクローゼットのほんの一部しか手をつけていないのに
すでに何袋もの洋服が処分対象となっている。
まだまだ手を付けたい場所はいくらでもある。
一体どれだけ不要なものに囲まれているんだろう。
そこにあるのに、存在を忘れられている存在。
もうこんなことはしたくない。
そしてシンプルライフを実践している人のブログを色々読んでいたら
「時間がとれたらまとめてやろうは無理。
毎日少しずつ」というのを見て
それも納得。
毎日数分でも物を減らすようにしている。
それだけでも自分の心に変化が起きているように感じる。
自分が本当は何を望んでいるのか、
自分に自信を持ちたい、
そんなことをずっと思っていたけど
断捨離をするようにというのは冷え取りの先生にも言われていたけど
「それはもう前に一回やったから」と思っていた。
学ぶことは十分してきた。
今、私が一番したいことは物を減らすことだ。