地元で夜の飲み会だと
行くにも帰るにも
誰かの世話にならないと難しいとすぐ思った。

実家に泊めてもらうにしても
実家に世話をかけるし。

地元の人達の小さな飲み会だと思っていたら
先月の学年全体の同窓会の時よりも人が集まる
かなり「同窓会」感の強い飲み会になっていた。

そして裏幹事こと
本当はこの人が全部人を集めた人が
「これが最後になるかも」とか
「俺がいなくなったら誰もやるやつはいない」とか
言い出して、
この人、そんなに具合悪いんだろうか、
そんなに急いで同窓会をやらなければいけないような
何か切羽詰まった事情があるんだろうか、
本人に聞いても
「先のことはわからないからそう言ってるだけだから
 気にするな」って。

なんだか気がかりは残るが
確かにそう。
会えるときに、会いたい人に会っておこう。

土曜日も仕事の人が多かった。
仕事終わりに来るから途中から参加という人も。

私は実家に泊めてもらえるか
思い切って聞いてみた。
私だけならいいって。
夫がくるとやっぱり色々両親は気を遣うから。
(夫が全く気を遣わないところがまた。。)

私だけだと言うと
案外すんなりと受け入れてもらえた。

駅から実家までは歩ける距離ではあるが
泊りの荷物もあるし、
このところの猛暑で
もしできたら父に迎えに来てもらえないか、
こんなことも頼んだことはなかった。

父はほぼ毎日、母の趣味の集まりの
送迎をしている。

母は人に頼みごとをすることに
抵抗がないようだ。
私も実家にいるときは
よく母に送迎を頼まれて
なんでこんなに気軽に人に頼みごとをできるのか
腹立たしくさえ思っていた。
私は夫にこんなこと頼めないし
頼んでも断られる。

夜遅いときなど迎えを頼んだこともあるが
「気を付けて帰っておいで」なんて言う。
「心配じゃないの?」と言っても
「家で待ってるから」とか。

父は優しいなと
夫の言動を見ているとよく思ったものだ。

父はこれまでも私が実家に行く際は
迎えに行くと言ってくれたことがあるが
父は大きな病気もしているし、目の病気もあるので
出来るだけ迷惑はかけたくないと思っていた。
だからこれまではいつも
「大丈夫、歩けるから」って
駅までは行きも帰りも歩いていた。

今回、心屋仁之助さんや斎藤芳乃さん、
浅見帆帆子さんなどの本を何度も何度も読んで
人に頼む練習をしようと思っていたからか
駅まで父に迎えに来てくれないかも頼むことができた。
私が自分から父に何かお願いごとをしたのなんて
初めてかもしれない。

「人に迷惑をかけるな」
私のすることに何一つ口出ししたことのない父が
唯一私に言ったこと。

それを私は本当に忠実に守ろうとしてきたんだなと
つくづく思う。
「人に迷惑をかけない」父を
ずっと見てきたし
自分もそういう人になりたいと思っていた。

父はやはりあっさりと承諾してくれたうえ
田舎の接続の悪い電車なので
接続の心配までしてくれて、
乗り換え駅での待ち時間が長いようなら
そこまで迎えに行くとまで言ってくれた。
直通の電車を選んでいたので
地元までで大丈夫と返信したが
こんなところまで気付いてくれるなんて
さすが父だなと思った。

裏幹事達、今回の飲み会の主催者に近い数人で
早めに集まって飲むと言う。
その時もすんなりと
「私も合流してもいい?」と聞けた。
いつもみたいに遠慮してのパターンはやめた。
「もちろん♪」
即答してもらえた。

確かにこの中に私がいるのは
変な感じだ。
誰が見ても違和感があるだろう。
他の人達はまあやっぱりという
仲間感があるけど
なぜここにこの人がという
違和感いっぱいであろう。

それでも集合場所がまずもう私にはたまらなかった。
中学校の前の歩道橋の上だと言うのだ。
なんで47歳にもなる大人がみんなで
歩道橋の上で集まるのか。
でも私はそこが妙にツボにはまったというか。
理屈でなく、そこに一緒に居たいと
瞬時に思ったのだ。

一緒に早く集まったメンバー
中学のときはほとんど話した記憶のない女の子もいる。
先月の全体同窓会のときに
初めて話したような気さえする。
その時の二次会で
その子が私達数人の写真を撮ってくれたとき
私の下の名前にちゃんをつけて
「目つぶっちゃってる」って言ってくれたのが
本当に嬉しかったんだ。
中学の時は苗字にさん付けでさえ
この子に呼ばれた記憶もないのだ。

今回、裏幹事が
「いっぱい写真撮って
 これなかった奴らも見れるように
  クラスのグループLINEにたくさん載せよう」
と言っていたからか
この子は私達を歩道橋で写真撮ってくれたんだ。
当日の写真は驚く程色んな人がたくさん載せていたけど
(私は飲み会の間、一度も携帯を見なかったけど
 実家に帰って見たらLINE未読数53になってたので
  何かと思ったら、みんなリアルタイムで
 続々と写真を載せていたのだった。)
私はこの歩道橋の写真が一番好きだ。
ここで写真を撮ってくれたことを
本当に嬉しいと思った。

早めに飲み始めた私達一行が
本番の会場に着くと
もう席についている人も何人かいた。

先生の隣に綺麗な女の人が座っていた。
その人は誰だろうと思っていたら
先月はこれなかったクラスメイトだった。

この子とも中学時代に話をした記憶がほとんどないが
私のことを覚えていてくれていたのが嬉しかった。

「先生に会いたかったのー」と
ずっと先生の隣で話している。
「私もずっと先生に会いたかったのに。
 今回だって私が
 『これだけ人数集まるなら
 先生も呼んでいいと思う』と言わなきゃ
  先生来てないのに」
なんてことまで思ってるのに
「私もー」とは言えない私。

私は先生の向かい側に座ったが
先生の言っていることはほとんど聞こえなかった。
隣で楽しそうに話しているその子がとても羨ましかった。

でも最後の方には先生も色々回ってくれたし
その子も別の人達の席に移動したりしてたし
ずっとずっと先生に直接伝えられなかったことを
やっと言えた。

先生は今でも私たちの精神的な支えなんだなと
今回の飲み会でもつくづく思った。

ちょっと悪かった男の子、
先生につっかかってるイメージがあったけど
「先生怖かったよな」って私に言うので驚いた。
私はその子が怖かったけど(笑)
「この子でさえ、先生のこと、怖かったんだな」って。

「先生、あの時、30何歳だったんですか?」と聞いたら
「30歳」って。
まさかそこまで若かったとは!
30歳で、あの個性豊かな(!!)メンバーを取りまとめて。
あの頃の先生の歳を大きく追い越した今思うと
それがどれ程すごいことなのかと
つくづく思う。

先生は、自分の立場を守ろうなんて気は
全然なかったんだと思う。
学校に新しい風を送り続けてくれていた。

そのお陰で、私たちは本当にのびのびと
一人一人がそのままで、居心地よく暮らしていたけど
先生がどれだけ矢面に立ってくれていたのか
今になって初めて本当にわかる。

先生も私達がこの歳になったから
話してくれたんだろうな。
もう大人同士として、対等に話してくれているんだ。

あの頃は本当に先生に守ってもらっていたんだなと
あの頃は全くわかっていなかったけど
きっと今はそれがみんなわかるから
みんな先生と話したがるんだ。

そう、先生は誰一人のことも、
みんな本当によく覚えていてくれている。

こっちは大勢に対して先生一人だから
それぞれ先生への思いはたくさんある。
でも先生は長い教員生活で
どれ程たくさんの生徒を送り出してきただろうに
一人一人分け隔てなく、
しかも本当にそんなところまでと思うところまで
気遣ってくれていたこと、
(しかもそんな素振りは全く見せずに!)
それを今でも覚えてくれていること、
今回お話できて初めて知ったこともたくさんあった。

言えて良かった。
ずっと伝えたかった。
今の時代、色々伝える方法はあるけど
やっぱり直接会って
直接言えるって
こんなに嬉しいことなんだな。