大好きなイタリアンのお店
ちょっと贅沢なのでたまにしか行かないけれど。
夫がうちの両親を誘って
またその後にいつもの公園に行かないかと言ってくれた。
お誕生日とか母の日とか
そういうときに何回かこのパターンで
行った事がある。
父が昨年病気をしてから
少しでも一緒にいられるようにとは思っているけど
今回は断られてしまった。
この週、月曜に検査があって
結果が出るのが翌週の金曜なので
その前がいいかなと思ったのだけど
父は今後のことも考えて
庭の草取りを済ませてしまいたいのだそうだ。
こんなに暑くなってきて
草取りなんて心配だけど
入院になった場合を考えているのだろう。
私は両親から何も口やかましく言われた覚えがないが
唯一父に言われていたことは
「人に迷惑をかけるな」だった。
父は本当にこれを守り続けてきたような人だ。
病気をしてからも人に全く頼らない。
昨年の手術前後から
家族が一丸となってはきたが
やはり基本一人で抱えている。
病気だから本人以外どうしようもないことも
たくさんあるけれど
そうでない部分も
家長としてというのももちろんあるが
本当にすごい人だと思う。
両親がいかないならこの話はなしかなと思ったけれど
二人で行こうと言ってくれたので
久々に行った。
時間をずらして行ったせいか
すぐに案内された。
そのときに初めて見る人が
別のお客さんの会計をしていて
私達にも「すぐ案内します」と声をかけてくれた。
高いコックさん帽子をかぶっている。
これは確か位の高さを表していると聞いたような気がする。
厨房の偉い人が出てくるほど
人が足りないのかなと思った。
でも人に接するのが慣れていない感じは全くない。
むしろフロア係の人としても上級のような対応だ。
職人さんはこういうのが苦手なのかと思ったけれど
そうでない人もいるんだなと思った。
「ここはいつもおいしいね」
「常に新しいことを模索していてすごいね」
そんな風に喜びながら食事をしていた。
「両親もこれたら良かったのにな」
草取りなんかよりずっといい。
なんだかちょっと申し訳ない気持ちになる。
ここのお店のスタンプカードは
小さい升目がたくさん並んでいて
もう通い始めて何年もたつが
一度もたまったことがない。
最初の2行目くらいまでで
期限切れになってしまう。
それでもこりずにまたカードを作ってもらう。
それが今回倍押しの日などもあったが
初めてたまりそうだった。
会計の時、帽子をかぶっていなかったけれど
先程の人だとわかった。
「もう少しなので押しちゃいますね」
次回来たら初めて全部たまると思っていたら
なんと今日たまった。
こういうことなんだろうなと思う。
以前、宿泊施設でも
「ぽんぽんぽんぽーんと押しておきましたよ」
と言ってくれた人、
何泊分おまけしてくれたんだろうと思うほど
気前良く押してくれた。
そうかと思えば全く別の宿泊施設では
ほんのちょっとでも
「だめですね」と言われたこともある。
そういう権限があるというのもあるだろうが
決まりきった規則ではなくて
どうしたらお客さんが喜んで
また来ようと思うかどうか。
見てる高さが違うんだと思う。
一従業員の視界と
経営者の視界。
この人は経営者ではないかもしれないけど
この人がお店を持ったら
きっと通いたいと思うだろう。
私にはこういうところが決定的に欠けている。
どうしてだろうと思うと
自分の仕事に愛着というか
プライド、そういうものが全くないからだろう。
仕事が好きで
やりがいがあって
自分の仕事に誇りを持っていなければ
最低限のことだけやって
できるだけ早く帰ろうとするだろう、
それが会社での私だ。
人との出会いは学びだ。
楽しそうにいきいきと働いている人を見ると
どうしたら自分もそうなれるのかと思う。
でもそんなことをもう何十年しているだろう。
そして60歳までは息を殺してなんとかやり過ごそうと
あきらめる。
でもあきらめきれてないからまた同じことを
繰り返す。
あと13年、終わりが見えてきたという人もいるけど
私もあと10数年我慢できると思っていたけど
3年前、心も体も限界を迎えた。
2年程休職して
今年から復職したけれど
復職前と少しも変っていないと思う。
会社にいるのは苦しいし、みじめだし
信用できる人もいないし、
一日中誰とも接しないようにして
ノルマの規定時間を過ごしたら
何秒かでも過ぎないように
急いで退社する。
月曜日が終わると
まだ一日しか過ぎていないと絶望し
土日だけを楽しみに
あとは文字通りやり過ごしているだけ。
あと13年も、こんな暮らしできるんだろうか。
あと13年生きている確証もないけれど。
60歳を待たずに
今すぐに、できるだけ毎日を
平穏無事に心穏やかに過ごせる時間でいっぱいにしたい。