昔できていたことが
今はできないということがたくさんある。

それは年齢による体の衰えとともにというのならともかく
もっと人としてのあり方が。

小学生の1年生か2年生の頃の通知表に
「誰にでも同じように接することができる」
と書かれていて
「なんだそれ」と少し憤慨したことを覚えている。

「そんなの当たり前じゃん」と思ったからだ。
人によって接し方が違うということが
想像つかなかった。

でも今の私には
昔の私はすごかったなぁと思える。

中学の2年生か3年生の頃には
「清潔感あふれる生徒です」と書かれていた。
それを見て母はとても喜んでいたけど
私は「そんないまどき不潔な人なんて
見たことないし、他に褒めるところがないから
こんな風に書いてくれたのかな」と思った。
清潔感の意味がわかっていなかったんだ。

でも今思えば
自分のことをそんな風に思ってくれた先生に
担任してもらえたなんて本当に幸せだったと思う。
もし今の私が「清潔感があふれている」なんて言われたら
どんなに嬉しいだろう。

大人になってからそんなことを考えることがよくあった。
昔は自分の価値がわかっていなかった。
それは自分にとっては当たり前のことだったから。
それが当たり前だった自分を今はすごいと思える。

普通は昔の自分は幼く
今は成長したと思えるのだろうが私は逆だ。
昔の自分の方がどれほど人として魅力があったか。

先日大好きなラジオ番組でかかっていた曲に
心が響いた。

「あの頃の君にあって
 今の君にないものなんて何もないさ」

というような歌詞だったと思う。

そうなんだろうか。
もしそうならどんなに嬉しいだろう。

私が失ってしまったと思っていたものが
今の私にもあるなら。

誰にでも同じように接することができて
清潔感のある人でありたいと思う。