認知症や高齢の親との接し方の記事を良く読むようにした。
そういうの見るだけでも腹立って読めなかったけど。

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認知症の人は
本人が一番不安。
だから事細かく観察している。
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どんどんわからなくなっていく不安というのは
確かに本人が一番不安だろう。

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「どうせわからないだろう」という態度は
敏感に察知する。
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確かに何度同じ事を言ってもわからないし
こちらも説明が面倒だからと
説明もせず、こっちが良いと思ったことを
強引に進めようとしていた。

洗濯ができなくなると大変だからと
乾燥までできる全自動洗濯機を設置しようとしたとき
父が激怒したのは
確かに父に言ってもわからないし
父も「俺は何もわからないから任せた」と言っていたからだけど
そんなことは本人は忘れてしまっているんだから
父に丁寧に説明して納得してもらってから
やるべきだったんだと今は思う。

当時の(と言ってもほんの数か月前だが)私は
両親の住む実家のエアコンの取り替えやら
動けなくなったという頻繁な連絡のたびの出動やら
休日という休日を親のために使っていて
親関係のことは、短時間で色んなことを済ませてしまいたい一心で
とにかく効率的に進めたかった。

親への丁寧な説明、
親の気持ちを聞く、
そんなことはハッキリ言って「面倒」なだけだった。
そんな余裕もなかった。

父と大喧嘩してから
母の通院介助だけは行っているものの
それ以外、実家に行くのはやめた。

こっちは休日という休日を全部親のために使い
自分の楽しみなんて何もなかった。

なのに妹一家は一週間も家族で沖縄旅行なんて
もうなんだかすべてが嫌になった。
バカバカしくなった。
そこで私のなにかがキレた。

もう実家に関わるのはやめよう。

休日は自分のために使った。

それで自分の中にも余裕が出来てきたのだと思う。

父が激怒したとき言っていた

「自分が全部正しいようなことを言って」って。

認知症の人だからって
全部が全部おかしなことを言うわけでなく
こうやってちゃんと真実をついたことも言う。

確かに私の中で
もう両親には判断能力がないのだから
全部私が決めて、私が主導権を取って進めなくてはならないと
思い込んでいた。

最近特によく読んでいるのが
和田秀樹先生の言葉だ。

その中に
認知症だからと言って
家に住めないということはない。
認知症になると
原始的な能力はかえって冴える
生きるために必要な根本的な能力、
理屈ではない、本能のようなもの

正しくは覚えていないが
そんなことが書いてあった。

そしてそれにはかなり思い当たる節があった。

両親とも、確かにおかしなことをいうことは
以前よりとても増えたが

・火の元の確認
・戸締りの確認
・階段から落ちないように

こういったことはきちんとできていると思う

最低限守らなければならないことは
本能的にわかっていて
いくらおかしなことを言ってるときでも
それらはできているように感じる

フローリングワイパー用のシートがないから
もう何か月も掃除してないというので

「生協で売ってるよ」と多分売ってるだろうと思い
言ったあとで、発注しておいた。

以前だったら、言ってもわからないだろうからと
そのままにしておくところだが
今回はLINEで連絡した。

その時は「ありがとう」と返信があったが
数日後、電話があって
ちょうど出れなかったので
留守電を聞いたら

「どうせ老人ホームに入るんだから
 キャンセルして」とのことだった。

もう何年老人ホーム論争しているだろうと思うけれど
また始まってしまったようだ。

これを聞いた直後はまたムカっとしてしまったけど
その日、生協の発注ページを見たら
取り扱いが月に1回程度しかないこと、
価格も200円程度であること、
これらを説明しようと思った。

LINEで

「お掃除シートですが
 200円くらいですし、
 生協では月に1回くらいしか取扱が無いようなので
 できればこのままにしておきたいと思います。(おじぎの絵文字)
 気が向いたら使って頂ければ幸いです(おじぎの絵文字)」
と送った。

母からの返事は
「ありがとう、助かります」だった。

こういうことなんだと思った。

先日、母の通院介助の後
地域包括支援センターの人が訪問してくれて
両親と今後について話し合う機会を設けてもらったが
その時も包括センターの人が
両親それぞれに
「どうしたいですか?」と聞いてくれて
これがきっと「寄り添う」ということなのかもしれないなと思った。

私がやっていたのは

「私はこうした方がいいと思うから、それで進めます」

だった。

両親に言っても否定的なことしか言わないのはわかっていたから
相談もしなかったし、してもあの二人にはわからないだろうと思ってもいた。
私が考えなくては、私が実行しなくては、
この二人は私がいなくてはだめだと思っていた。

父とは喧嘩したまま会話もしてなかったから
包括センターの人が来てくれたとき
久しぶりに話しかけた。

その時は言葉に気を付けた。

「お父さん、包括センターの人、来てくれたから
 一緒に聞いてくれる?」と言ったら
あっさり来てくれた。

こういうことなんだなと
少しずつ私も理解し始めた。

こういう記事を読むと
「ひえー、めんどくさい。
 こっちが気を遣わなくちゃいけないのか」と思っていたけど。

自分を尊重してくれている、
自分を大切にしてくれている、
相手にそう思ってもらうことが大事というのは

何も高齢の両親に限ったことでなく
人間関係の基本なんだろうけど
私はとにかくそういうのを
「めんどくさい」と思ってしまうし
なんかそういうのが大嫌いなたちで、
そういうのやってる人みると「けっ」とか思ってしまうから
会社でもそういう人みると「腹黒っ」とか思ってしまって
今でも「うまくやる」人を毛嫌いしているけど。

せめて高齢の親とはそうしよう。

一緒に住んでいるわけではないんだし、
一緒に住んでたら毎回これはキツいと思うけど

別の人の記事に

「介護はプロにやってもらって、自分は指揮官みたいでいい。
 実家にはたまにいって優しくしてあげればいい」
みたいなのを見て
私は一人で勝手に頑張りすぎていたのかなと思った。

ちょくちょく行けば
色んなことが気になるし
こうすればいいのにとか、
なんでこうしないんだろうとか
だからあれこれ手出しをしようとする。
よかれと思って。
でもそれって誰も幸せじゃなかった。

親にしてみれば
自分の生活に口出し、手出しされたくないし
こっちはこんなに色々考えてやってあげてるのに
感謝されないどころか、迷惑がられて腹立つし。

・私はこう思います。だけ。それに従わせようとしない。
・どうせわからないだろうじゃなくて、丁寧に説明する。
・こうしてくださいじゃなくて、こうしていただければ幸いです

そしたら相手のいうこともころっと変わるんだ。

でももしこれ、電話に出ていたらこうはいかなかったと思う。
やっぱり電話は基本出ないで留守電にしておいて
自分も冷静になってから対応するのが
今の自分には良さそうな気がする。