自分の心と体の声を聞くという事をここしばらく意識していたけれど、よくわからなかった。
頭で決めてしまう事が本当に多い。
例えば、食べたいものも今まで頭で決めていたと思う。これは体にいいから食べようとか、もう夜遅いからやめようとか。
心と体の声を聞くというのは、今までの自分の決め方と違うやり方だから、戸惑った。
今何が食べたい?というのが自分のことなのにわからない。これかな?いやこっちかな?と今食べるものを決めるだけでも迷いに迷って混乱してしまう。

今日、ふと感じた。心と体の声というのは、今まで自分が認識できていなかった、潜在意識のことなのか、と。
正確には、潜在意識の感覚は、度々、感じたことはあったけど、日常生活にかき消されて置き去りにされ、つかみたくてもつかめない、物足りなくてもどかしい状態が何年も続いていた。

今まで私は頭の中で言葉をこねくり回し、一人で勝手に疲労していた。
何を決めるにも、頭に聞いていた。

潜在意識の声というのは、言葉ではない。
そして、胸が熱くなり涙が出る位懐かしいその感覚は、また遠くなり、聞こうとしても、口を閉ざしてしまっている。

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「努力」という言葉を聞くと、「スポ根」とか「スパルタ」みたいな、「力んで頑張ること」というイメージしか浮かばない。
だけど、やっとつながった。「努力」は「何度もやってみる」とか「繰り返し探す」とか「諦めずに試す」とかに近いかもしれない。
それは、「研究」や「探索」なのだ。

それなら、私はまだ努力不足だったのだ。
自分と繋がれてなかった。
力を注ぐ方向が違っていたし聞く方向が違っていた。
興味不足であったし、愛情不足だったし、研究不足だったし、行動不足だった。自分が喜ぶことを知るのを諦めて、投げやりになっていた。潜在意識と繋がれてなかった。
まだまだ手数が足りなかったんだと思う。

諦めず、自分にアクセスしてみる。

  Ask, and it shall be given you;

         seek, and ye shall find;

knock, and it shall be opened unto you. 
     
        
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                    thank you