先日、ハラダンゴ様から新年初の突撃を受け、べラボーにうまい紅茶やさんにお供した。サーブされたものを味わったら、これは定価以上のものだと思った。サービスのお水まで、お紅茶!と徹底している。スプーンの細長さ具合が、ちびちび味わうのにとてもよかった。行儀悪い子?二杯飲んでもカフェイン酔いしなかったし、体にあってると思う。クレープのキャラメルと塩味、甘じょっぱ好きにはたまらないおいしさ
お貸ししていた、きのう何食べた?が、全巻揃って返ってきて、おもしろかった。私はモーニングで連載を読んでて、古本屋にあれば購入派なので、ハラダンゴさん的には巻と巻の間の抜けている内容が気になって、あちこちで抜け巻を買ってくださったそう。そこまではまっていただけて、なんか嬉しい。ゆずってもらって、ありがとうございました。作者様には、本当にごめんなさい
そんなハラダンゴ様の旅立ちの期日が決まり、大変な職場から飛び立てる日がとうとう来たと喜ぶ気持ちと、突撃がなくなる淋しい気持ちがミルフィーユのように攻撃をしてくる
返ってきた本が入っていた袋が、ハラダンゴさんのいい香水の香り付きで、怪しいといわれようと、この香りをどこかで嗅ぐ度、パブロフの犬よろしく、ハラダンゴさんを思い出すんだろーなー
関西に旅行にいくきっかけが増えた、と思おう。昨年、約束したピアスが未完成なの、作り上げないとなっ
おもひでのまあにいを読了。思い付いたことを書き付けるだけなので、ネタバレにはならないはず
全体でみて五分の四辺りから、ようやく盛り上がってくれた。どう落とし前つけるのか、ひやひやしたよー伏線はあちこちに張ってあったのねー
それでも、前半の不透明さを乗り越えて、ここまでたどり着かせるの、結構バクチな本だの。。と思っていたら、あとがきにまずそのことが書いてあって、書いている側も折り込み済なのかあと、納得。先にあとがき読んどけばよかった。親や他人の愛情を受け入れられない子の思考や行動が、なんとなく共感出来たので最後まで読んだけど、それが分かりにくくてそれほど面白くない、と読むのを挫折するヒトも少なくないと思う。謎を解き明かしたい!とゆう気持ちで最後までたどり着くヒトも多いとは思う。児童文学って、すごいなあ
これを、じぶりがどう料理するのか、わくわくする。アンナの行動思考回路は現代人に通用するのか、しないのか、個人的に気になる。仲間、居るかな?、の気分
私は、ものごととは簡単に白黒つけられない、愛されることが人間の成長を助けてくれる、のあたりの件にぐっときた。映画化だけが理由でなく、今私が読むべき本だったのかもなあとか、ちょっと考えさせられた。私だけでなく、現代人みんなに今必要な作品なのか
とにかく、どろどろな気持ちを抜きにして、ただ謎を解いて、時空を越えた不思議なお、は、な、し♪、で映画を終わらせたら、美術館の玄関前で、さいの河原の石を積むパフォーマンスをして、そうじゃねえだろう

五分の四までの、主人公の冷めた思考回路や行動(窃盗癖含む)を、主役目線と回りの大人目線両方で精緻に描くことで、最後の五分の五パートを生かしてくれないと、結局何がいーたいのかわからない映画、で終わると思う。勝手な心配ですけど、えらそうですけど、なんだかんだで結果、この本を愛読したものからの願いを込めて、色々書きました
なぜ、この作品の映画化を決めたのか、とか背景も気になる。情報公開が待ち遠しい
先日、仕事の顔合わせに行った。営業アシスタント。私の今までの職歴を切り張りしたら、正に当てはまる会社様、業務内容で、文句なしの紹介。のはずなのに、ちっとも心踊らず。すぐにでも働かねばならないのに、後ろ向きな面接態度だった。本当にすいません。
その帰り、こみんと新年一発目の再会。二時間、耳が痛い。結局、やりたいことをやれ、て話だけど、それに簡単にうなずけない。昔は、そう出来たらいーなと思ってたけど、憧れだけでやったことでいくつも失敗して今に至ってるので、流れ的に昔の失敗をもう一度!、な気持ちにならない。生活が安定しない不安は、もうこりごりだし、昔以上に他人と気心を通わせることが難しくて、理解できなくて怖くてしんどいのだもの。一番の問題は、私が私のやりたいことがわからないってことだ
一番初めにやりたいことを諦め?たのは、他人の気持ちや行動の意味が理解できないと、私のやりたいことは出来ないし、それよりも自分を卑下する癖をどうにかしたいとゆう想いにたどり着いたからだった気がする。零か百派の私が選んだのは、失敗をいかして、やりたいことの亜流の道、己に合った現実を探すことでなく、他人にはうまく説明できない観念的な道を求めることだった。その結果、自分にあう病気や障害の箱がないか、せっせと探してるのかもしれない
言ってもらえるのはほんとにありがたいと思ってるのに、活かしてないのって、どうなんだろうね。聞いていても、意味がわかってないってことだよね。前職でもそうだけど。自分以外の世の中とコミュニケーション出来ない
私はこじらせ女子だ!と思ったけど、よーく考えたら、こじ「らせて」はない。思い出せる限り、保育園くらいから、ずーっとこじ「れて」いる。こじ「らせ」は、こじ「れて」なかったヒトが元に戻ろうとしてるイメージ
こじ「れて」いる/いないは、己を客観視してるようで、じつは他人と比べて見たり、他人が下す評価だ。私にとって、そのこじ「れて」いる状態が、幼少から常態なんだよなあ、と夕べひらめいた
私が気づいてなかっただけか。こじ「れた」ままの私で、やっていける道を探していけとゆうことなんかや
いろいろ、ぐだぐだ考え並べたなあ~
まあ、考えてみたら、好き勝手に考えるのも趣味だから、いろんな言葉やシーンからヒントもらって、いろいろ悶々と考えてこ。それが私のやりたいこと、とも言える

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