さいきんのこと | ピナMAXの独壇場

ピナMAXの独壇場

日々感じたり、思うこと。あまりにつまらなすぎて、くだらなすぎて、重すぎて、誰にも言えないこともある。でも、吐き出したい。ひっそり饒舌しますことを、ここに宣言いたします。

長崎の日、エイケイラボさんにいく。移転されるため、蚤の市をしてるときいたから。移転先もきっとすてきだろうけど、この大きなアイビーのような葉で覆われた壁は、もう見納めだ

今日はここで避暑しながら、お盆にちなんだピアスを作るためにきた

迎え火


送り火


すてきなお箸立て四個を40円で我が物にして帰る






NCNさんに誘われて、初めての野外へす、さまそにに。21世紀最高の暑さの日、開演を待ちながら、なぜこんな炎天下で大勢が押し合いへし合い苦行をしたがるのか、なぜ来てしまったのか、と後悔しかけたが、始まると気持ちがシャーンとした。暑さが暴力的な気分に自分を持ち上げる。それが気持ちよくなっていく。祭りだ。それでも、自分かわいさに手を抜くところは手を抜いて、頭をフリフリ。

と、同じ暑さを打ち負かしてずっとパフォーマンスするホルモンさんをみて、選ばれた人が舞台に立つんだった、と思い出した。暑さに負けないパフォーマンスをすることがこの人らの仕事なんだ。技術&気合い?心?を見せてもらった。でも、次は、屋根のあるライブで頭フリフリしたい。舞台に上がらない私は、軟弱者

きついことをすることで見える境地を、久々体験した。フェスって、若い人は行くがよいぞ(何様?)

世の中には理不尽なことがある(=暑い中、おとなしく演者の出番を待つことなどなど)けど、あのパフォーマンスを見るためには必要なことだからと納得した我慢は、ひとを大人にしてくれる。私は、来るの遅かったって、思った。暑い中、外にいるなんて、ばかみたい、と今までこなかったけど、暑さがないとわからない素晴らしいものが確実にある。山登りしないと見えない景色と似てるかな。やりたくないけど、越えるときてよかった、とふるえる感じ。こうした実感をたくさん持つことが生きてくのに大切なのかもな~めんどくさい病だと、なかなか見れない景色

暑さにやられ、リンキンさんからは、ほぼ座って観戦。shoutが減っていくのは、さみしいけど、宇宙的なノスタルジックな表現にみんなで向かっている感じ。切なかっこいい。哀愁好き

メタリカさんは、もう休憩と冷やかし気分でおつきあいするつもりだったが、始まった途端爆音量と演奏のテクニックと腰の座った存在感に圧倒された。畏れ多くて立てなかった。そんな中、ギターや音楽好きだったにいさんのこと思い出したり、時代と戦ってきた彼らが、当時のハートやテクニックをもったまま年を重ねていることへの尊敬、そんな彼らを心の支えに生きてきたファンの健やかさ、心からお手本にできる偉大な上司がいる音楽をやる若人への嫉妬?とかが、疲れのせいかぐるぐるして、音楽よくわからないけど、これはすごいものだということはひしひしと感じられて泣けた

なにがなにやらの写ってないメタリカさんのステージ写真


ライブにこなかったら、この人らのすごさは一生わからないままだった。NCNさん、ありがとう

革のベルトをしていったら、大量の汗で変色して、そのまま固まってしまった。革は濡らしちゃダメなんだな。高校の時から使っていたけど、さよならした


翌日曜月曜の激雷雨。電光が目の前にドカンドコンと降り注ぎ、腹に心に響く。月曜は外出してちょうどチャリに乗っていて、これほどの自然現象と戯れるチャンスは滅多にない!と、雨宿りせず、びしょ濡れで帰宅。しかし、窓開けたまま出てしまっていて、部屋もびしょ濡れで、急いで家具大移動。予想外の掃除ができてしまった。雷様の威力で、テレビが映らなくなったが、翌日には解決

いがらしさんのチョコを買うため、コンビニへ。オリジナルを立ち読む。はぐれ雲。いつも読まないのに、今号はなぜか読む。辛抱我慢之介の結末がどうなるのかドキドキページめくると、同郷の明治に実在の人?だった。スケール、でかいよ。。いがらしさんのチョコは、ここには売ってなくて、結局はぐれ雲読みに来たことになってしまった

一人暮らししてすぐ、包丁研ぎ器がうまく使えなくて捨ててから、そのままずっと無い状態で暮らしてきた。茶碗の底で研いではいたし、きれいに食材が切れなくても、最終的に切れているから別に構わない、と思っていた。斬れないのが当たり前だった

最近自炊が増え、斬れない刃で何度も擦られる野菜たちを見ていたら、なんだか不憫に思えてきて、百均で包丁研ぎを買った。昔の研ぎ器よりは、手応えがあった。一気に切断してやれる喜びを知る。
包丁研ぎだけでなく、生活に対して、意識がかわってきた。他人にはわからない、私だけにわかる小さな変化。余裕がなくなっても、この意識は残ってほしい

ラディゲの肉体の悪魔が読めた。すいすい。あの時代の大陸もの、今まで挫折して読めなかったのに。おもしろい比喩を使い、冷静に心理や欲望を書き連ねてあり、からりとしてて一気に読めた。心理重視した新訳だからわかりやすかったのかと、あとがき読んで納得。昔の硬い訳が理解できた昔の人の知性と感性に脱帽。翻訳の重要さに思い馳せた。昔、丸ノ内線でご縁があったライ麦畑のおじさまは、今どうしているだろう?

前にプロペラカフェで、NCNさんから気になるブックトークされたカモメのジョナサンにようやく手を出す。変わったカモメが努力して、仲間に認められる話だとおもっていたから、意外な展開にびっくりした。ジョナサンが三行で悟りを拓いた辺りから、あたまとこころが話のスピードについていけなくなり、馬にヒモで繋がれて、村中引きずりまわされたような読後だった

でも、なんか響くものもあり、気になって、作者のこと調べ、イリュージョン、という作品が近くの図書館にあったので、読みにいく。八章の映画の件から、かんぜんに馬にひきずられた。大事なことをいっている本だとはわかる。この感覚、六年前に同じ図書館で偶然手にした、神はハーレーに乗ってとおんなじような。数年に一度、この手の本に出会う仕組みなのか。これが引き寄せの法則か。意味不明

ジョナサンの訳者の五木さんのあとがき読むと、五木さんも超越した部分に違和感を持たれていた。それでもちゃんと訳されているのが、素晴らしい

女が出てこないのに愛は説けないという五木さんの言葉に、どろどろした昭和のパッションを感じた。五木さんの本、エッセイしか読んだこと無いが、小説はエッセイとは違う感じがする

ジョナサン、イリュージョンのわかりにくいさは、訳云々より、ニュータイプ?だけに見える景色だからかもしれない

みんな、自分を限定して、こちら側にこないから不自由なんだ、といっている二冊だと思う。作者のリチャードさんは、いたこみたいだ

古本屋で、カフカの絶望発言集をちら読む。高校の時、カフカの異邦人を読んで、さっぱり意味わからなくて、変身の居心地の悪さ、気持ち悪さに衝撃を受け、それ以来この人の小説には手を出さなかつた。短大の独白発表会では、この人の戯曲の台詞を選んだし、春樹の中にカフカはたくさん出てくるから、どこかでつながるものがあるのかもとは思っていたけど、ひねくれ者つながりだったとは…

「今の肉体の牢獄から逃げても、新しい牢獄に入るだけだ」との絶望っぷりを読んで、私が小学生のときに「今死んだとしても、いれものと名前が変わるだけで、私の魂はそのままで思考や苦手なことは持ち越すから、死んでも無駄だ」と悟ったのと似ていると思った

今まで、この気持ちは仏教ファン?のおじいちゃんの影響を受けた輪廻転生的な想いなのかなと処理していたけど、この悟りをひらいた瞬間の気持ちの明暗具合を想いだしてみると、絶望の方がより近い気がする

思春期に大人だったら、著作をたくさん読んで、もっとカフカと仲良くできていたはず。はっ、私今、二回目の思春期真っ盛り

もっと仲良くなろう、カフカ。きっと仲良くなれる私たち

昨日は直さんがきた。まず目白の志むらさんでかき氷を食べた
蜜がゼリーな新食感!ぶどう氷!


それから、駅前のワンコインいわし丼。とろとろで美味しかったです



東京駅に移動し、新丸ビル内のアンノモヨコさん展へ。いろんなお店をみて、その後、お茶したり(かき氷研究家なおさんのかき氷論を拝聴)、最後は立派なソファに移動し、話をする。
はじめは、新名所満喫するぞ!とインフォカウンター付近から見上げたホテル感にわくわくしたが、洗練されたような雑貨が数ありすぎると、見飽きる。貧乏だからかな?お伊勢さんとは違う、ふわっとした洗練。最近のおしゃれさんは、時短道具とふわっと洗練された取り扱いにくいものを生活に使うのが流行りなのかな。私がもしお金持ちになって、勢いで買い占めても、扱いが面倒で、今度はお手伝いさんほしくなっちゃいそう

それから、今日のメインイベントの藤井さん仕切りのヒデオズファンミーティング会場へ向かう

シュールな匂い馨るイベントでした。不条理に巻き込まれた。始まったら、ヒデオファンの一人になってる。なりたくなんかないのに!(笑) 映像が芸人とは思えぬかっこよさで笑えた

寺山の芝居って、こんな感じだったのかな?
寺山展、忘れずに行きたいウサギ

Android携帯からの投稿