だから、いつも以上に読む人は不快になるかもしれないので、できれば読むのをやめてほしい
いつも、読む人がいるかもしれないと思うことで、ノートとかだとまとめられない自分のことや日記を書けるので、読み手さんには感謝している。だからこそ、これは読まないで、愉快にすごしててほしい
声がいい、と小さい頃から言われてきた
それだけがとりえらしい。自分の声を録音したものは、自分じゃないみたいでこれを他人はピナと認識してんのか、と思うと、他人に私が思う自分が理解されないのは仕方ないかも、と諦めもつく
仕事、というものについて、考えることをずーっとにげてきてるなと、というか、未だに答え出せてない
中学時代は、しょぉらいとかしごとの意味とか考えるより、生と死について妄想したり、荒れたクラスのムードにびくびくし、仲良しグループでのびのびやってる子だった
暗記力のみだけで中学時代の成績がよかった私は、担任の見栄だけで(当時は気がつかなかったが、後で母が言っていた。なんでその時言わなかったんだろ?私が反抗期だったからかな?んん…)偏差値ちょっと足りないくらいの荷の重いレベルの進学校にまぐれで進学
入学して、テーマとか特になかったと思うが、作文出せ、と高校の担任のひでじいにクラスみんなが言われて、この高校に入れたのは本当に奇跡です!、風邪で当日休んだ人が多かったお陰です、ありがとうございます!、的な文を提出し面白がられたが、私は本心だった。そのくらい、自分の人生の進路について無頓着だったので、入れただけで満足してしまっていた。精神的な生きる意味ばかり考えている中2病は今だ健在
暗記力は勉強ではないんだ!と悟れてしまうほど、すぐ周りの学力についていけず、入学してほどなく祖父の葬儀で一週間休んでから、決定的についていけなくなり、勉強することをやめた
大学進学する意味や理由をクラスメートに聞いても、みんな殆どぼんやりしてて(当たり前だったんだよね…)歯がゆく、お金出してもらってよくわからないことするのに納得いかなくて、でも高校出てすぐ働くのも、自分の中でしっくりこなくて、好きなことか、面白いことを仕事にすべきだ!と思っていた
私は昔から内気で友達作るのが苦手だから、父から何も取り柄がない、何もできない子だ、と小さい頃から思われている。いまだにだ。さらに思春期は生死の妄想ばかりにのめり込んでいたので、話をしても感性と言葉が通じないと悟ってから、殆ど家族と会話しなかったから、余計手に余る子だった。親戚に、あいつは何を考えているかわからない、とぼやいているのをこっそり聞いたことがある
父は身内に厳しいが、特に素晴らしい経歴とか、すごい生き方してる訳ではない
自分の人生なんだから、自分で考えて好きなことをしろ、二十歳になったら成人だから、食いぶちは自分で稼げと言うだけで、進路の心配や相談が出来る人ではなく(弟に俺の進路はピナが決めてくれた、と昔言われてびびった。軽く言ったことが人生決めたのかと…)、放任主義ぶってるが、ただの育児放棄じゃねえかとその口先だけ親ぶる姿がホントに許せなくて、いつかテメーの背中を越えてやらぁ


母は外面がよく(内もひどくはなかったが)、身内を貶めて話すという奥ゆかしき日本人気質があり、幼く純粋だった私はその二面性に、人間は外面を持たないと生きられないということを理解する前に素直に傷つけられた。母は私が好きではないのだなと、人懐こい弟と仲良くしてるのを見て、素直に思い込んだ
さらに洋裁やパンフラワー作り、花屋勤めなどで手先が器用で、さばさばしていて面倒なことが嫌いな人だったからか、ぐずぐず物事決めかねる私はイライラさせていたようで、不器用でもあった私はすぐに出来ないことがあると母にやってもらってしまい、今こう書いてみたら自分のせいも大いにあるが、ドウセヤッテモ出来ナイと癇癪を起こすこととすぐ諦めることを覚えてしまった
劣等感や弟のように分かりやすい甘え方が出来なかったのを燻らせ、血が繋がっていても他人だ、と思うことで納得していた
それでも他に相談できる人がいないので、進路を決められず、母にどうしようどうしようばかりいって、うんざりさせていた
進学するって意味がよくわからなかったから、高校の先生たちにもうまく相談できなかった
不安なまま、私がなんとなく選んだ進路は、学科試験がない演劇課だった
ほんとに深く考えてはない。
周りの人とたわいないことしゃべって仲良くする、みたいなひとづきあいができないのはコンプレックスだった
我が道行けるほどのめり込めるものもなかったし、人間の感情やコミュニケーションについて学べるかなと思ったのと、昔から声の仕事に興味はあったので、好きなことを仕事にするなら、演技について学んだ方がよいだろうと選んだのだ
受験要項の、プロ育てます、の意味をよく考えず、自分の人生について具体的なことを考えることが必要とも思わず、とりあえず入ってから考えればいーのかな?と先のばしした
中学では仲良しと演劇部だったけど、自意識強くなっていて高校では入る気しなかった。受験勉強の意味で市民劇団に入ってみたが、自意識や緊張との戦いで、演技することにためらいがあった…
受験会場はプロ目指す人の熱気がむわむわで、引くほどの温度差だったが、差がありすぎて、受かる/落ちるなら、受かるを目指して、後悔だけはしないようにしよう!と逆に開き直り、一生懸命試験課題をこなした
ひでじいは変わり者のこの進路が心配?不満?だったようで、滑り止めで受けた精神学課的な短大合格を非常に喜んでくれた
が、私は演劇課にも受かってしまった。そして、そちらを選んだ
合格は嬉しかったが、じわじわと湧いてきた、私の入学で誰かのプロの夢を邪魔したのかもとの罪悪感と、あんたの結婚資金はもうないと思ってと、母に言われたほどの学費の高さを噛み締め、与えられた課題を必死にこなす日々が始まった
、、ねがちぶの根を、いろんなことをほったらかして今があるのぅ
勢いだけで物事を決め、レベル高いものに飛び込んで、しかも挫折してないから、今やっかいなことになってる
続きはまたにしよ…逃げじゃない、脳疲れたから仕切り直す
出掛ける準備もしないといけない!

Android携帯からの投稿