なぜなら、号泣しまくって、めが真っ赤で、帰り道もしばらく余泣きがひどかったから。
自分が運痴なので、ダンス崇拝してるのを差し引いても、こんなにぼろぼろ泣けるとは思わなんだ。
様々な速度の動きや変化、動きの繰り返し、無重力な動きのなめらかさなどに、意味はわからないのに色んな感情にさせられて、非日常を感じて、、とここまではアニメーションにも似たことを思う。
同じ人間として、同じ形の四肢を持つのに、身体鍛練の結果、肉体が空間の時間や空気をやすやすとねじ曲げ☆るのを観れるから、ダンスは好きだ。
演劇、音楽や、他のアートにも通じることだけど。
身体なら私も一揃い持ってるし、言葉なし、という点も、ダンスに惹かれる理由なのかも
言葉でなく、身体表現で、観客の感情をゆさぶるのが、ピナバウシュ、とパンフを読んで、すごく納得。
そう、振り付けがもはや型でなく、ダンサー個人の身体や思想の一部になって、不思議な設定の舞台の上から不思議な動きで何かを訴えてきて、胸に迫るのだ。自然観察みたいに、何か、は自分で感じるしかない。
2Dの表現にすら眼が鍛えられてないし、ダンス崇拝者だから、これが3Dならではの結果の涙なのか、わからなかったのが残念。
スタートの、飛び出す絵本のように舞台をのぞく感じで、そこから自分が舞台に入り込んでいくのには、3Dのよさを感じたけど、その後の躍りのシーンでの3Dのよさは、よくわからなかった…

でも、カメラの近さや息づかいを感じさせる撮り方は、すごいと思った。ヴィムさんだからこその、背景とダンスのコラボの美しさ。ダンサーだけでなく、背景の隅々にも目を奪われるから、1シーンごとが、動く絵画のよう
演劇同様、ダンスも、『舞台上のすべてのもの同士が信頼しあっている』というお約束がしっかりしているほど、過剰な表現も受けとめられる気がする。
その時間、そこにいるものだけに観ることが許された世界。
映画表現はリアルになるほど、阿呆な私は、たまに現実と勘違いしてしまう。それはそれですごいことなんだけど、えぐいものの場合は子供には危険だ~
信頼とは、簡単に言いかえれば、愛だろうか?
からだを使いきる素晴らしさが羨ましくて、私も舞台に立ちたい!とまで思った
運痴すぎて、高校の時、弓道班にも入れなかったんですけどね…
それにしても、カタルシス効果で、なんだかすっきり、世界が綺麗にみえる

アートって、日常の垢を落としてくれるものだってこと、思い出した
ダンス観たことない人の感想、聞いてみたいなあ
そうゆう点では、やっぱり、西野さんがいたら、それはそれで楽しかっただろうな
長文、おつきあいくださり、多謝感激。
長いだけで、ちっとも思いが練れれない、くやしいです

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