小さい頃?純ちゃん
って子が好きでした。私は元々奥手で、本当に惚れちまったら!手も足も出ない?全くの亀でした。話す事さえ臆病で石みたいに固まって、
それでもその子の可愛い笑顔を見たくて、いつもそのChanceの場所を探して待つだけで・・・もし出会ったとしても、赤い顔して照れるだけ。
相手も楽しくないから?直ぐ他の楽しい子の所へ行ってしまう(当然!)。
それでも哀しくはなかった!それで楽しかった。
一緒にはしゃぐ男の子達が羨ましかったけど、それはそれで?見ていた!
ストーカーに!近いのかな?・・・
初恋!だったんでしょうか? その前にも好きな子はいたけど、可愛い子に限って授業中にシカブっちゃってね(おもらし!して)、恥ずかしくて言えなかったんだろうねトイレ!・・・
言い忘れたけど、小学校時代の話しです!はい。
純ちゃんは五年生から中学一年ぐらいにかけて、好きでした
。思い出した!
そう言う俺も一度?タイカブった(下痢で垂れ被った)事があった!
授業中に、勿論ちゃんとトイレ!って言って走ったんだけれども(何でも食ってたからね・・・)
間に合わなくて?廊下でパリパリっと!あれってある意味 気持ちイイよネ?
そのまま?家に帰された。「小使いさん」がカブ号に乗せてってくれた、その間も また出てた!・・・。
半ズボンでした、垂れ流し?垂れまくり!
昔はね、夜寝る時腹巻をしてたよ!ガキは金太郎のヤツ?子供は腹だけの布を紐で留めるヤツ?
おやじは毛糸や、ラメのキラキラしたヤツを年中してた・・・あぁ!この為かぁ?と思いました。
イヤな事を思い出しちまったよ・・・
昭和34年頃までは「バカボン」みたいに普段着でも、着物と言うか寝間着と言うか安物の浴衣みたいなのを着ていました!
「サルマタ」と「ユカタ」がユニフォームでした。
その後は寝間着としてだけ!まだ着ていました。
話しを戻して、
あの頃フォークダンスが楽しみでね! 鈍行列車「助平」の始発駅かな?
運動会の季節になると、その練習から始まってね。純ちゃんと手が繋げる事だけを一番の楽しみにして
この日だけは休まず!体調も頗るスコブル調えて、整えて
♪♪見え見えな?態度だったでしょう!唯一のアピールTimeでした。
「オクラホマ・ミキサー?」でしたか・・・
小学校が楽しい!と思ったのはこれだけだった?かもね。
運動会!
母子家庭だから仕事休んでまで母が来る訳も無く、昼食Timeになると私はうろうろするだけ。
本家のいとこたちが迎えに来て、おばさんの手作りの弁当を食べさして貰うのが毎年の事で。
母は本家の嫁(おばさん)の事が嫌いみたいでしたが、おばさんの態度表現が下手なだけで?実は優しい人でした。口が悪かったからね!
ちらし寿司や巻き寿司、いなり寿司、果物があって(秋ですから、柿や梨、早生みかん、ぶどう等)当たり前に!食べられた。遠慮すると怒られるからね「はよ食わんか!」ってね・・・
知ってる?昔のいなり寿司!三角でドデカクて、
中身は具がいっぱいの味飯で・・・
卵焼きとカマボコ、鶏のがめ煮、芋
稲刈りのランチも畦道でこのフルコース!本家は漁業も農業もしてました。芋や大根は掘り出してそのまま生で食ってた!
スイカも有った、黄色いメロン瓜が美味かった。
最近見ないね「黄な瓜」?
純ちゃんの家は老舗の酒屋 兼 駄菓子屋で、私らは鉄屑や一升瓶をリヤカーで拾い集めて「ボロ買い」に売り!みんなで山分けして彼女の店で買い物をする。生活の知恵でしたよ!