今日は前回の比較の話の続きです。


人は往々にして自分が持っているもの・自分に備わっているものよりも、自分が持っていないもの、自分に足りないものに気を取られ、自分に「無いもの」を求めようとします。


でも、これって、「常に自分には何かが足りない」って宣言しているようなものなんです。


たとえば「お金」。


たとえば「友人」。


たとえば「恋人」。


・・・。


それらの「自分には無いもの」を求めるそのこころの深層には一体何があるんでしょうか?


一度、「なぜ自分はそれが欲しいのだろうか?」と、じっくり考えてみてください。


考えるというより、「自分」のこころに問いかけて答えを「感じて」みてください。


さあ、何がでてきましたが?


それがないと「不安」だからでしょうか?


それがないと「人から認めてもらえない」からでしょうか?


それがないと「恥ずかしい」からでしょうか?


「不安」からのがれるため、「人に認めてもらいたい」ため、「みんなと同じように見られたい」ために、足りない「何か」を追い求めたとしても、あなたは満たされることがありません。


「何かが足りない」と感じている時点で、あなたは「足りない現実」を自ら作り出してしまっているのです。


じゃあ、どうしたらいいのか?


答えは簡単です。


いま「ある」ものを認め、そのことに感謝しましょう。


雨風をしのぐことが出来る部屋に住んでいること。。


3度のご飯が食べられること。


仕事があること。


家族がいること。


着る服があること。


健康であること。


目が見えること。


しゃべれること。


歩けること。


インターネットにつながったパソコンを持っていること。


携帯電話を持っていること。


戦争に行かなくていいこと。


・・・・。


これらのことって、普段はつい当たり前のように思ってしまいますが、これらのものが「無い」人だって世の中にはたくさんいます。


余命いくばくもない人から見れば、


「生きていること。」


だってものすごいことです。


どうですか?


あなたはすごく恵まれていませんか?


いまのままで十分に「豊か」ではないですか?


もし、「なんで私にはこれがないんだろう?」と思ってしまった時には、


今「あるもの」に意識を向けるようにしてください。


そうすれば自分の「豊かさ」に気づくことができるでしょう。



自遊人 拝