こちらの続きです


その後、デュランは2006年1月にニューアルバムのレコーディングに入る
2月にはトリノオリンピックで演奏 
8月4日   モンテカルロで赤十字のガラライブ
※これが2回目の5人での最後のライブとなる






ニューアルバムの『Reportage』は
デモがレーベルにダメ出しを受け
ティンバランドとシングル用の曲をレコーディングすることになる
そのことにアンディは不満を感じているという噂が広まる

2006年9月、アンディはプロデューサー・ティンバランドに
会うためのビザが用意されてなかったことをきっかけに
家族の怪我、お父様の死等が重なり、活動を離脱、
そして公式から脱退の発表
※アンディは後日、鬱病と診断される
結局Reportageはお蔵入りとなり
Red Carpet Massacre』を作り直すことになる


 9月  アンディ体調不良でドム・ブラウンがライブを行う
10月15日  アンディの東欧ツアー不参加を発表、以後ドムで続行
10月25日   アンディの脱退を公式が発表、アルバムはドムで製作続行



Wild Boy: My Life with Duran Duran (English Edition)

Andy Taylor
Kindle版516円


このアンディの伝記を読むと、ジョンの伝記が
自分に印象的なことを書いているのに対して
多方面を暴露的に書いているという印象を受ける
アンディが自分から脱退を表明しているかは
微妙な気がするが、実際はどうだったのだろう
※英語が不自由なので解釈に間違いがあったらすみませんあせる


脱退の理由は、ジョンは「musical differences」と書いているが
アンディはマネージメント力や統一性の欠如、
メンバー間の緊張関係などを挙げている

このあたり、ジョンはそう感じたということであって
やっぱりアーティストだなあと思う
自分の見たこと、感じたことで物事を進めるというのか・・・


でもこのアンディの書いたことは半分は当たっているんだろうな
明確なリーダーやマネージャー、プロデューサーの
いないバンドというのは難しいのだね・・・





アーティストなんて自分と向き合ってなんぼなのだから
自分のこともバンドも見る役割ができるメンバーなんてそうそういるわけがない
観客はそういうところは無視して楽しみたいけど
活動が順調な時はいいがそうでない時に
底が見えてしまったりするものだ
アンディの脱退で底を見てしまったファンも多かったのだろうか


そう考えるとアルフィーの高見沢氏はリーダーだなーと思う
ジョビジョバ のマギーも、一度休止させてしまったとはいえ
彼のリーダーシップがあったから不定期でも再開できている

再始動のきっかけの一つは明水さんの結婚式だったらしいが・・・
明水さんはデュランで言えばジョンポジだな
つまりきっかけにはなり得るけどリーダー向きでは全くないショック
あ、彼らはバンドではありませんでした笑



ただアンディの伝記では、Reportageをレーベルに出すのが早すぎたとある
メンバーは曲にそれなりに自信があったようだし
初期のようなギターが多いサウンドだった
※これをレーベルが気に入らなかったらしいが・・・
米国作曲家作詞家出版者協会(ASCAP)には
Reportageの曲とされるタイトルが登録されていて
メンバーはいつかリリースしたいと考えているようだ


その後またどん底を味わった彼らだがまたしても立ち直っている
これからも3歩進んで2歩下がっても良いから
デュラン・デュランであり続けてほしい
サイモンでもニックでもいいから飛び出しそうになったら
ジョンを止めてやってキョロキョロ


先日のロックの殿堂でブライアン・メイも言っていたではないか
バンドを続ける秘訣は解散しないこと
太らないこと髪の毛があること
だって笑い泣き
 


それと偉大な高見沢氏の言葉を借りれば
今日のつづきが未来になる




アンディの本のライブエイドや2度目の脱退のあたりは
読んでて結構暗くなる
メンバーにはもうあんな思いはしてほしくないし
ファンもそれを一番望んでいるのだ