一昨日私は徹夜をしてしまい、ただいま頭がボーッとしている最中である。そのためか知らないが、あまり勉強にも身が入らないでいる。

そんな話は置いといて。

私は最近『四畳半神話大系』という、同名の小説を原作としたアニメをみた。今回はその感想を述べようと思う。

そのアニメのあらすじは、大まかにまとめると次のようになる。

目立たない奴らとつるんで、パッとしない高校生活を送っていた主人公の「私」は、晴れて大学生となった。1回生の頃、華々しいキャンパスライフを夢見て、サークルにも入会した「私」だが、人間関係も広がらず、彼女も出来ず、いつしか3回生となり、自分の大学生活に「意義」を見出せずにいた。

そんな「私」は、時間を巻き戻して、並行世界へと飛び、色々なサークルに入り、有意義な大学生活を実現させようと何度も奮闘するのだった。

「私」は、同じ荘に住む大学8回生の「樋口」や、どんなサークルにも顔を出す気味の悪い男の「小津」、私の後輩である「明石さん」などと関わりながら、次第に「有意義な大学生活」とは何かを問うていく。

 

自分が特に印象に残っているのは、第10話である。第10話では、「私」は色々な並行世界に行ったあげく、結局どの大学生活に意義を見出せなかったため、下鴨幽水荘(作中で『私』が住むアパートのこと)で自分が借りている四畳半の部屋の中にこもることを選ぶという話が描かれている。このエピソードでは、「私」は、ドアの外を開けた時に、いくつもの似たような四畳半の部屋が、自分のいる部屋の隣から連続していることに気がつく。その実は、それぞれの部屋が、たくさんの並行世界で「私」が生活する上で使用していた部屋だったのである。一つ一つの部屋には、「私」が並行世界で過ごした大学生活を記憶に残すような品々が置いてあり、「私」は、それらを見て、自分が「無意義」だと思っていた大学生活のすべてが、何よりも大切だったのだと知る。しかし、何もかも捨てて部屋にこもり切りだった私には、もう新たな並行世界に踏み込む勇気など無くなっていたというのが、この話のオチである。

 

私の感想としては、「無意義」だと一見思われる大学生活が大切であるというメッセージも、もちろんこの話にはあるのだが、それ以上に、部屋から一歩出て何かしようとしなくては、大学生活の意義が問われることもないというメッセージも、第10話の伝えようとするところなのではないかと思われた。

第一こんな感想を抱いているのは、オンライン授業縛りで部屋にずっといるからなのかもしれない。自分の所属する大学では(あるいは、『大学でも』)、緊急事態宣言が発令、延長されたことから全面オンライン授業の措置が取られている。つい一ヶ月前頃までは、一部がオンライン授業で、一部が対面授業となっていたのにも関わらずである。

大学構内に行ければこの上もないことだが、今はどの授業もおそらくオンラインだろう。大学に行っても無意味である。

だから自分の住む家の中でも最も小さい生活領域である自分の部屋にいるしかない。

 

だが、本当に外に行っても無意味だろうか。部屋の外に出て何か行動しなくては、大学生活の意義が問われることすらないのだ。

 

私も、少しでも「無意義な」大学生活を送ったほうがよいのだろうと感じた次第である。「キラキラの大学生活」とか、もう求めてませんから。