"陽林洞"
柳が多く"陽林"と呼ばれ,約100年前に西洋の宣教師たちが来て教会を建て,宣教活動の場を設けた所だ。
西洋人が生活したからといって"西洋村"とも呼ばれ,光州の西洋式教育,医療が始まった所だ。
(光州楊林洞で医療宣教活動をしたRobert M. Willson / 彼住んでいた社宅)
陽林洞そのものが光州の歴史をよく示すように当時の痕跡がそのまま残っている。
当時,宣教師が住んでいた社宅と彼らを記念する記念館,光州出身の詩人たちの痕跡,当時の伝統家屋や学校などが残っているが,今日はこれらの中でも狭い路地につながっているペンギン村を紹介しようと思う。
ところで,なんで村の名前がペンギン村なの?
ペンギン村という名前は,この村の住民が膝が痛くてまともに歩けず,よろよろ歩く姿のため,"ペンギン村"という名前がついた。
少し悲しい名前だが,狭い路地が続いているペンギン村を見てみよう。
村の入り口で立っているペンギンたち
家で使っていた古びた品物が村の壁と街を彩っていた.
ただ易しく捨てたものがこんなに集まっているからまるでまだ必要な自分たちを易しく捨てるなと言うように...
ペンギン村を憶える小さな記念品も...
"雪が解けると何になるのかと先生が尋ねた
みんな水になる"と答えた。
でもスンヨンは春になるって言ったよね"
狭い路地の間···
絶え間なく音楽が流れ出る.
古くてみすぼらしいものが集まって村を新しく作った...
立ち止まってしまったあなたの夢が今始まります.
あなたは愛です。
昔のお菓子
ここは写真館
残るのは写真だけ
絶対にペンギン村が陽林洞の全てではない。
文章で歌っていた詩人たちの痕跡,厳しい時代に閉鎖的な国に足を踏み入れて奉仕した宣教師たちの痕跡などが感じられる場所だ。
狭い路地の間···
感じはどうですか?
ショッピングや美味しい店ツアーもいいですが,こんなところも一度見回ってみる価値はありませんか。
もっといい日はこれから
次回は陽林洞のほかのところを記事にお伺いします。