差別について考える | Emma、ニュー・カマー物語♪ 

Emma、ニュー・カマー物語♪ 

日韓関係や多文化共生、多文化教育等に関するコンテンツを紹介します。

数日前、後輩の韓国人留学生がバイト先(ホテル)で、あるお客さんからあり得ないことをされたそうです。(20分間部屋に軟禁され、肩を叩かれながら、説教される)ショック!

性善説か性悪説かという問いに、未だに答えを出せてない私は、彼女の話を聞きながら、自分の15年に渡る日本生活を振り返ってみました。

KY(空気を読めないのでなく、「読まない、読もうとしない、読みたくない」)、また、人一倍「鈍感力」には自信があったせいか、幸い今まで「泣き寝入り」するほど、ひどい目にあったことはありませんでした。


ただ、ずっと保護された環境にいた私にも、たまに自分がマイノリティーだなと感じる場所がありました。


それは美容室。ビックリマーク


自分が韓国人である、また、美人であることにひひニコニコ以外に何も与える情報がなかった時、美容師さん達の反応は本当に様々でした。


接客でスモール・トークを交わす時、彼らの多くはテレビで見た韓国のことをよく話していて、それで私は普通の日本人は韓国をどのように見ているのか、また、マスコミの影響力の大きさを知ることが出来ました。


中には、ほかの日本人のお客さんと微妙に違う態度をとる人もいたりして、一時はそれが嫌で、何もしゃべる必要がない、おじさん専用のチケット制1000円の床屋に通い続けたこともありました。(ここだけの話、実は今もその腕の高さに魅了され、たまに行っています)ニコニコ

こんな涙なしでは聞けない「EMMA苦労人、ものがたり(愚痴話?)」は、この辺にしておいて、差別の問題を鋭く指摘した本の一節があったので、紹介させて頂きます。


Biases may not budge, but acts of prejudice can be quashed, if the climate is changed. One study found that when people in a group heard someone make ethnic slurs, it led others do the same. The simple act of naming bias as such or objecting to it on the spot establishes a social atmosphere that discourages it ; saying nothing serves to condone it.」(「Emotional Intelligence」p.177-182)


「偏見はなくならないかもしれない。しかし、差別という行為は風土が変われば、抑えることが出来る。ある研究によれば、グループの一員が人種差別的なことを言うと、ほかの人も同じことをするようになる。単に、その場でそれは偏見だと、反対の意見を言われることで、そのような行動を思いとどまらせたる社会の雰囲気を作ることができる。何も言わないことは、差別を容赦することを助長する


(上の話は、その背景として、アメリカで1960年代、Wendy’s というレストランで組織的・暗黙的に黒人を差別するような接客が行われたが、誰か一人声を上げたことで、企業全体の取り組みを変えさせたという話と関連しています)


しかし、上の文章を書きながら、今まで自分の経験を通じて分かってきたもう一つのこと、つまり、世の中にはまた、偏見を持たない人達もそれなりにいたということも言いたいです。
「心がオープンな人」とも言える人達ですが、彼らは、外国での生活経験や社会的なステタースとはあまり関係なく、ただ自分の頭で考えながら一所懸命に生きている人達でした。


そのオープンな心の持ち主達は、私が「どこの馬の骨」か分からない時でも、私の冗談(駄洒落?)をそのまま受け入れ、心底笑ってくれました。

一方、「まさか、外国人が冗談を??」という偏見を持っている人達も確かにいて、まったくかみ合わない会話で終わってしまうこともありました。

少し古い映画に「月はどっちに出ている(1993)」というものがあります。それには差別問題が崔洋一監督の鋭い洞察力でリアルに描かれており、また、人間の絆や愛のようなものも感じられて、とても感動的でした。

そのいくつかのシーンとメッセージが16年以上経った今もフラッシュバックで目に浮かぶ時があります。


その一つに、「在日、大嫌い」といいながら、主人公にずっと嫌がらせをしていたある登場人物が、ある日、警察に捕まって誰からも相手にされなかった時、助けに行っていた主人公に向かって、ぼつんと「私は、在日は大嫌いだけど、**さん(主人公)のことは好き」と本音を呟いている場面があります。

そのシーンには、まさに、非難する側もされる側も弱い立場に置かれている現実があり、攻撃、非難を吐き出す「見下し」の意識と行動とは、どんなものなのか、見えてきます。ちなみに、その相手を優しく見つめていた主人公(岸谷五郎)の演技があまりにも素晴らしくて、あとで、岸谷の追っかけになろうかと思ったほどでした。にひひ


 「困難や不条理なことと、向き合わざるを得ない状況は訪れる。でも、それを乗り終えて生き抜くためには、やはり向き合うしかない。人間は何かと向き合わないと、生きていけない」(崔洋一)


何かと向き合って生きていく上で、変わらないものは何か、また、変えられるものは何か、そして、その二つを区別できる賢い人になりたいですね。





<追記>上の動画に対する説明です。This song is about keeping yourself right even amidst darkness and negativity. For the video, we decided to portray this struggle through the story of a bunch of young kids who set out to make things right, but lose a part of themselves along the way. They may have started off on the same path and with good intentions, but their struggle reveals varying agendas and leads them in very different directions.