道をひらく | アメリカの大学院で勉強する、舞のもぐもぐブログ

アメリカの大学院で勉強する、舞のもぐもぐブログ

旧『ベナンで活動する舞のもぐもぐブログ』 

2008年6月~2010年6月の2年間、青年海外協力隊として西アフリカのベナンという国で活動しました。

2012年8月から2014年5月まで、アメリカのブランダイス大学院(Brandeis University)で国際開発学を勉強しました。

『道』

この道が果たしてよいのか悪いのか、
思案にあまる時もあろう。
なぐさめを求めたくなる時もあろう。
しかし、所詮はこの道しかないのではないか。

あきらめろと言うのではない。
いま立っているこの道、
いま歩いているこの道、
ともかくもこの道を休まず歩むことである。

自分だけしか歩めない大事な道ではないか。
自分だけに与えられている
かけがえのないこの道ではないか。

他人の道に心をうばわれ、
思案にくれて立ちすくんでいても、
道はすこしもひらけない。
道をひらくためには、まず歩まねばならぬ。
心を定め、懸命に歩まねばならぬ。

それがたとえ遠い道のように思えても、
休まず歩む姿からは必ず新たな道がひらけてくる。
深い喜びも生まれてくる。


『絶対の確信』

刻々に変わりゆくこの世の中、
あすをも知れぬ人の世で、
神か仏でないかぎり、
絶対にまちがいのない道など、
ほんとうはないのである。

だからこそ、おたがいに過ち少なく歩むために、
あれこれと思い悩み、精いっぱいに考える。
その果てに、どうにもほかに道がなさそうで、
だからこの道がいちばんよさそうで、
そう考えて、それでもまだ心もとないけれども、
心もとないままではしかたがないから、
そこに勇気をふるって歩みつづけるのである。
みずからを励まし励まし歩みつづけるのである。

確信ありげに見えても、
ほんとうは手さぐりの人生で、
まことにつつましやかなものである。

たよりないといえばたよりないかもしれないが、
持てもしない絶対の確信に酔うよりも、
この心がまえで謙虚に歩むほうが、
われも他人 (ひと) も傷つくことが少なくて、
結局は最良の道になるのではないか。


『一陽来復 (いちようらいふく) 』

悲観のなかから、人ははじめて人生の深さを知り、
窮境に立って、はじめて世間の味わいを学びとることができるのである。

頭で知ることも大事だが、
身をもって知るということが何よりも大事。
塩の辛さはなめてみてはじめてわかる。
知るということにも、いろいろあるのである。

窮境に立つということは、
身をもって知る尊いチャンスではあるまいか。
得がたい体得の機会ではあるまいか。

そう考えれば、苦しい中にも勇気が出る。
元気が出る。
思い直した心のなかに新しい知恵がわいて出る。
そして、禍い (わざわい) を転じて福となす、
つまり一陽来復 (いちようらいふく)、
暗雲に一すじの陽 (ひ) がさしこんで、
再び春を迎える力強い再出発への道がひらけてくると思うのである。


『芋を洗う』

人の歩みには大なり小なり浮沈 (ふちん) がつきまとう。
上がりっ放しもなければ、下がりっ放しもない。
上がり下がりのくりかえしのうちに、
人は洗われみがかれてゆくのである。
だから、たまたま上にいたとて、
おごることはすこしもないし、
下にいたとて悲観する必要もない。

要は、いつも素直に、謙虚に、
そして朗らかに希望をもって歩むことである。
『道をひらく』  松下 幸之助 より

実はこの本は、何年も前に本屋で見かけて
何度か手にとったことがあるのだけれど、
パラパラっと中身を見て、
「大したことが書いてない」 と思って
買うまでにはいたらなかった。

当たり前のことばかり書いていて、
特に新たな発見や感動は無さそうだったからである。

たぶん、人生が順調にいっているときには
きっと何も響かない本だろう、と思う。

本にはタイミングがある。

つらいときに、心にじんわりと染み渡るような本を
本当の良書だと、この本を読んで思った。