帰らざるの門 | アメリカの大学院で勉強する、舞のもぐもぐブログ

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旧『ベナンで活動する舞のもぐもぐブログ』 

2008年6月~2010年6月の2年間、青年海外協力隊として西アフリカのベナンという国で活動しました。

2012年8月から2014年5月まで、アメリカのブランダイス大学院(Brandeis University)で国際開発学を勉強しました。

6月13日(土)~14日(日)、
先輩隊員たちと6人でウィダへ旅行した。

ウィダはコトヌから西へ1時間程度のところにある。
国内旅行にさほど興味の無い私でも、
ウィダだけには1度行ってみたかった。

その理由は、「帰らざるの門」があるからだ。

アフリカの歴史。

この門から、アフリカの人たちは奴隷として
アメリカへ売られ、2度と帰ってくることはなかった・・。

ベナンで活動する舞のもぐもぐブログ-帰らざるの門  門を通り抜けると海岸が

ここへは、去年あいのりメンバーも
ゾマホンと共に訪れており、
番組で分かりやすく簡潔に説明されている↓
http://www.fujitv.co.jp/ainori/st/st404.html

ヨーロッパの国々は奴隷貿易を 『三角貿易』 と名付け
およそ400年の間、国家的事業として行なっていた。
まず船はヨーロッパでは売れないような安物の綿製品やアクセサリーなどを積んで出港。

アフリカに到着すると運んできた安物の商品と黒人奴隷を交換。
船いっぱいに奴隷たちを乗せ、
中南米やアメリカで運んできた奴隷たちと高価な砂糖やタバコなどを交換。
ヨーロッパに戻ったのだ。
三つの大陸を股にかけた三角貿易。
ヨーロッパの資本家たちは、そこから莫大な利益を得たという。

ベナンで活動する舞のもぐもぐブログ-奴隷商人の家  奴隷商人の末裔の家

~帰還の木~
この木の周りを奴隷は3回周らされた。
魂だけはアフリカに戻ってくると信じこませ、
わずかな希望でより従順にさせた、と言われる。

ベナンで活動する舞のもぐもぐブログ-木  

奴隷は人ではなく物扱いされ、船底に押し込まれたまま運ばれた。
排便も垂れ流しの状態で多くの人が病気で亡くなる。
逃げようとするものは、手足の切断、もしくは
生きたまま海に容赦なく放り込まれた。

アメリカに到着すると、家族がバラバラにされ、
奴隷として一生働かされるのだ。

正確な数は分からないが、
アフリカ全土で取引された奴隷は1500万人に上ると言われている。

ヨーロッパの人たちは、この非人道的な行いを正当化するため、
黒人は白人より劣っている、という考えを広めた・・・。


人は本当に残酷なことをできる生き物だと思う。

これは遠い国で昔起こった
私たち日本人には関係の無いことだろうか?
私はそうは思わない。

例えば、

日本では欧米の文化やファッションに無条件に憧れているけれど、
その国々がどうやって発展したか、を見るとまた
世界を見る目が少し変わってくると思う。
もしかしたら、ただ単に 「欧米がかっこいい、素晴らしい」 と
思い込まされているだけかもしれない。

マザーテレサの言葉に、
「優しさの反対は無関心である」
というのがある。

遠いアフリカの国に関心を持て、
というのは日本人にとって難しいかもしれないけれど、
アフリカの発展無くして世界平和はありえないと
私は思っている。

私たちだって知らない間に、
たくさんアフリカから搾取をして
今の生活が成り立っているのだ。