仕事しているときは

「お金をいただいてるわけだし」

と思って別人格を降ろして励みました。

 

だけどその実態は・・

多少改善されたとはいえ相変わらず社交性は乏しく、気持ちも内に籠りがちな私です。

人と接するのは苦手。目を見てしゃべれない。

 

私は元々物事を素直に前向きにとらえるのが苦手です。

すぐにマイナスイメージを思い浮かべてしまう。

 

そうやっていつしか、人の目を気にして目立たぬよう、注目を浴びぬよう端っこを歩くのが習慣化していました。

 

人前で穏やかに談笑しても、心の中では「今すぐにでも逃げたい!」と常に考えているような人間です。

人と関係を構築するより後ろ向いて逃げて自分の殻に閉じ籠る方が楽。

 

そうやって逃げ癖も付きました。

 

 

ピンチに立たされると私のような人間はマイナス側に転げ落ちることが多いです。

転げ・・というか、自ら転落を選ぶというか。

 

今まで嫌というほど経験してきたのでよく知っています。

 

 

だけど心境や環境は本当に人を変えるんですね。

 

たまにそんな夢のような話を耳にすることがありました。

だけど都市伝説かなんかだと思っていました。

 

まさか自分にその順番が回ってくるとは・・

 

 

置かれた状況がどんなに暗く辛くても、ほんの少しだけでいい。

光の差す方向に心の向きを変えられるきっかけを掴むことが出来たなら。

 

私は運が悪い人間だ。

ずっとそう思っていました。

だけど、実は運がいいのかもしれません。

 

これまでなら間違いなくどん底まで落ちていたような最大級のピンチなのに、マイナス側へ転落しなかった。

前へ向くきっかけを掴むことができた。

 

いや、これ以上落っこちたらもう復活は望めない・・

生存本能がマジの危機を感じ、必死に踏ん張っていたのかもしれませんけど。

 

だけど。

 

たとえ気持ちが前を向いたって、これまで散々転がってきたマイナス分まで挽回出来ていないのは事実。

今の場所はマイナス地点だという事実は何も変わっていないのです。

 

ならば、この地点を「ゼロ」としよう!

ゼロからやり直せるなら、それはもはやプラスも同然!

 

都市伝説が真実となった瞬間です。

あの最強の「マイナス思考戦士まーみ」が人生の岐路に立って前を向いた。

 

前を向いただけで「自分で選択した!」と書かないのはマイナス戦士の名残です。

「自分で」というより「運」が運んでくれただけな気がするので。

 

 

こうして私は人生最大級のピンチを通り過ぎ、

マイナスのはずの現時点を無理やりゼロ地点とすることを決意しました。

 

いえ、本当はその時そう思って頑張ったのではなく・・

 

上手くいった現在、後付けでカッコいいこと言ってみたくなっただけなんですけどね。

 

 

逃げ癖は治っていませんし、マイナス思考も被害妄想も得意なままです。

 

でも、運任せだけど、なんか上手く回り始めたのも事実。

今ならばちょっとカッコつけるぐらいいいかなって。

 

多少景気よく盛って書いてもバチは当たらないかなって。

そんなふうに思ったりしました。

 

アルバイトから自営業者へ。

まだ始まったばかりですが、運を味方につけて自分の足で歩いていきたい。

 

 

さてと。

そんじゃあ今日も仕事もらいに行ってきます!

 

 

 アルバイト編、おしまい

 

わけ分からない自主退職をした人間が今さら仕事の楽しさを語り出す・・

てか、今まで何やってたの?って自分でも思ったりします。

 

私生活でも仕事でも、知らず知らずに私の視野は狭く、手が届く範囲しか見れなくなっていたんですね、きっと。

その狭くなった視野にいきなり幕を引いてしまった。

父の急死を知らせる電話を取ったときに。

 

幕を引き、視界すら無くなり手元も見えなくなった。

 

あのときの弱って崩れそうだった心に、こともあろうか仕事で見えた風景が沁みたのです。

幕は引かれたままですが、すき間から漏れる光に気付いたとでもいうか・・

 

友人(少数ですが)の陰ながらの応援や、気丈な母の姿も心の支えになっていました。

でもまさか、仕事に「私はここに立っている!」って実感を思い出させられるとは。

 

 

どうせなら彼氏やパートナーに生きてる実感をもらいたかった・・なんてね~だっ!

そんな野暮なことは言いません!

 

実際そんな人いませんし。

あ、念のため言っときますが、いないのであって欲しくないとは言ってませんよ。

 

でも仕事だろうと仏像だろうと、そんな私が前へ進む力をもらえたのなら、もらえた私はまだ大丈夫。

 

あのとき、ちょっとだけそんな気がしたのです。

 

 

「今さら何を」は否定しません。

でも、今さらですが、視野というか世界観というか、世界の見え方が変わった気がしたのです。

 

そんなふうに自分を見つめ直している自分に気付いて驚くと共に、

 

「もしや私のコレって飯のタネになるのでは・・」

 

そんな考えも頭に浮かんできたのでした。

 

 

ついさっき心の復活を報告したばかりの人間がもう次の「欲」を欲している。

でもこれが健全な心の働きなのだと今は思うのです。

 

 

だって、残りの人生をちゃんと全うしようと考えれば・・

 

食べてかなきゃいけないわけだし!ね。

 

 

 つづく

 

仕事の入りは順調そのものです。

思っていた以上に重要な仕事まで携わらせていただきました。

 

 

そして、バイトしながら思いました。

 

前職と同じような仕事でも、切り口と必要とされる要素が異なります。

そして、結論は変わらずとも、途中の風景や歩き方もちょっと違う。

 

例えば・・

 

山登りで頂上に到着。お弁当食べながら道中で印象に残ったことを楽しくおしゃべり。

小川や新緑、途中にあった祠や鳥の声、すれ違った登山者の様子。

みんな感想がまちまち。

でも楽しかったのと頂上の気持ち良さは共通していて・・

 

違うなあ。この例え、違う気がする。

 

 

さらに、バイトしながら思いました。

 

慣れていたはずの仕事。だけど、同じものが違って見え、違うものが同じに見えるような感覚。

立場も求められることも時間の使い方も違う。

だけど、私、やり方は良く知っている。

 

そんなことを意識しながら仕事していると、

気持ちや心の置き場も動いている気が・・というか可動範囲が広がっている気がしたのです。

何より、なんだかスゴク楽しいのです!

 

例えば・・

 

私の大好きな仏像、奈良は新薬師寺の国宝「十二神将立像」。

仮にあの十二神将が博物館に収蔵されたと想像してみてください。

博物館に展示されていても、私は奈良へ行くたび見学に訪れるでしょう。

だけどあの薄暗い金堂内に静かに立つ、荒々しくも神々しい姿は一生忘れない。

 

どちらが良いとか、趣味嗜好は置いといて、大好きは変わらぬまま私の中で何かが変わるのではないかと思うのです。

 

うーん。

想像すると楽しいけど、これも違いますよね。

え?その前に仏像想像しても楽しくない?

いえ、そんなことないはず。楽しいですよね?

仏像、ときめきますよね?

 

じゃあわかりました。例え方を変えます。

 

例えば・・

 

同じ十二神将でも興福寺国宝館の板彫り立像と新薬師寺の塑像立像を思い浮かべてください。

え?思い浮かばない?すぐにググってください!

 

・・どうですか?

どちらも国宝ですがもはや別物ですよね。

そりゃあそうです。別物なのですから。

時代も技法も作者も違いますし。

私の一押し、伐折羅(バサラ)大将も意匠が全く異なります。

 

でも、同じ十二神将なんです!

 

十二神将という仏教上の本質は何ら変わらない。

元々の建立の背景、見る人や必要とする人によって解釈は異なるかもしれませんが、その本質は変わらないのです。

でも、時代の移り変わりや人々の価値観の変化のなかで、神仏への畏敬の念と美術的な価値という二面性が生まれ・・

 

変わらない本質がいつの間にか多面的な意味を持つように・・

 

 

あれ?何の例え話でしたっけ。

新薬師寺の伐折羅(バサラ)大将がカッコ良すぎるって話だっけ?

 

どちらにしても押しの仏像を想像するのは楽しいですよね?ね!ねっ!!

 

と言いますか、千数百年の齢を重ねた国宝と二十年程度のキャリアの話では重なる部分は1ミクロンも無いので、そもそも例えるには無理がある。

 

ですが・・

 

父を亡くし、パニックに陥り心を病む寸前だった私にはとても沁みたのです。

 

同じ仕事でも、同じものは一つもないというその単純な事実と面白さが。

本質は変わらずとも、多面的な見方を与えるのは携わる人間なのだと。

それによってたった一つだった狭い世界は無限に広がる可能性を帯びるのだと。

 

あの時の状況と心の持ちようが、仕事だけじゃなく心の置き方についても「一つじゃない」ってことに気付かせてくれたというか何というか・・


そう、例えるとするならば・・

 

いえ、もう止めときます。

意味不明な例え、反省してます。

 

ああ、奈良へ行って仏像たちに会いたくなってきた~

 

 つづく

 

「じゃあ後よろしく」

人事担当は私を放り投げて去っていきました。

 

オオカミの群れに放り込まれ、羊のごとく震える私。

涎を垂らしたオオカミ達は震える私の服を引きちぎり、唸り声をあげて我先にと飛び掛かってくるのでした。

 

服を引きちぎり我先に飛び掛かる・・か。

被害妄想の枕詞が「服引きちぎり」って、私はどこか病んでいるのでしょうか。

妄想は妄想でもその先へと進んでいる気がする・・

 

 

人事の人の「じゃあ後よろしく」は現場責任者への言葉です。

そう、面接したあの切れ者ふうの爽やかな人です。

 

私は複数のスタッフと共にこの責任者率いるチームに所属し、

主に補助として各種整理や報告のまとめをお手伝いすることに。

 

だけど実際は、補助というよりガンガン仕事振られて、何だかんだでみなさん私のことを社員と同等に扱ってくれました。

 

一週間ほど経つと、もやは古株チームメンバーのように馴染んでるし。

アドレスフリーな作業場で席まで定位置化していました。

 

やはりこのリーダー、仕事できる人ですね。

スタッフ見てればわかります。

ものすごくやり易いし、バイトの私にも謙虚に意見を求めてくれる。

もちろん私の問いにもきちんと答えをくれるし。

 

 

嫌な感じ(妄想です!)で職場に投げ出されましたが、

転がった先はオオカミではなく、優秀な人材と推進力ある人たちの集まりでした。

 

もちろん服も引きちぎられません。

 

だけどオタク人材とクセ者の含有率は前職場と似ている感じ。

業界の闇・・いえ、共通点を感じたのでした。

 

アルバイト生活の滑り出しはすこぶる順調。

 

社交性の極めて低いコミュ障な私には、仕事で会話出来るような雰囲気がとても肌に合ったのでした。

 

 

 つづく

 

 

いよいよアルバイト初日です。

 

「管理者としての経験もある大ベテラン、まーみさんです」

なんだかフワッとした感じで紹介されました。

 

「管理者」とか「何でも知っている(らしい)」的な紹介のされ方が物凄く嫌でした。

 

 

アルバイト初日の人間をそんなふうに紹介する人事担当もどうかと思いますけど。

どっかで長くやってたって言われても、皆さんとは初対面ですし。

 

この人事の人。フワッと感は私よりずっと上ですね。

 

それにリスペクトってより「お手並み拝見」的な響きがこもってた気がするし。

フワッとは負けても、被害妄想は私の得意技ですので他の追随を許しません。

 

 

でも確かに外見的にはベテラン(ふう)ではありましたよ、きっと。

 

体形的な貫禄に加え、寡黙に押し黙った顔には齢を重ねた職人のような皺が深く刻まれ・・

 

けっ。

こっちに言わせりゃ、単に肉付きのいい人見知りなおばさんが初対面の人々を前にビビッて表情を無くして立ち尽くしていただけですけどねーだっ!!

 

と、一息で言ってみる。

さあ、みなさんも5秒以内に一息で言ってみてください。

なんだかスッキリしますよ。

 

けっ。

 

 

アルバイトを紹介してもらった後、履歴書の提出や面接などで実務の責任者の方とは複数回打合せをしていました。

自分が出来ることは盛らずに正確に伝えてあります。

いえ、伝えたつもりです。盛らずに。

 

私への問いかけに、実務も管理も知り尽くしている感の滲むこの責任者の男性。

自信漲る爽やかな笑顔・・苦手です。

「なかなかに出来るヤツ。でもグイグイこないで欲しい・・」

グイグイ来たのはもちろん仕事の話しです。

でもこういう人を前にすると私は目を見て話すことが出来なくなるのです。

 

挙動不審に映っただろうな・・でもしっかり話は出来たと思う。

目は見れなかったけど。

 

何でしょうね。いい歳こいて。

 

結構自信のある仕事なんですよ、ホントに。

自信を持って堂々と受け答えすればいいんですよ、ホントは!

ちゃんと出来る子なはずなんですって、この仕事に関しては!

 

はあ。四十過ぎてこれだから、アレなんでしょうねぇ・・

面接した日の夜は「お父さん、こんな娘でごめんね」と仏壇に手を合わせて泣いたものです。

 

 

 

「じゃあ後よろしく」

 

なんて人事の意地悪担当(うそ。私、被害妄想を発症中です)は知らない人たちの群れに私を放り投げてサッサと去っていくのでした。


 

 つづく