第5章のつづき。。。
髪のことも触れておく。
私は天然パーマである。
本当にくるくるだ。
高校では、校則が厳しかった。
当然、パーマも禁止だ。
だから、「癖毛バッチ」を生活指導課から受け取り
高校生活の三年間つけていた。
そのバッチの裏には、番号が打ってあり
ちゃんと、管理されていた。
校則で言うと、あと
襟から長い髪は、基本二つくくりか
さらに長ければ、おさげにしないといけない。
私は白髪が、小学生のころから多かった。
高校生になると、親が心配して
白髪染めをしてくれていた。
おさげしようもんなら、
後ろでぱっかり髪をわける。
従って、白髪が丸出しだった。
当時は、恥ずかしくて美容院で
白髪染めをする勇気もなかったので
母親が市販のもので染めてくれていた。
そのため、光にあたると変な色になる。
校則的にやばい。
だから、親が学校に白髪が理由で
髪を染めてることを伝えてくれて
学校の承認を得ていた。
校則ついでに髪以外のことも触れておくと
男女交際禁止(そんな心配はまったくない
悲しい高校生活だった)
スカート丈は、膝下5から10センチ。
時々、投稿する時に
校門に先生が立っていて
服装チェックをされていた。
さらには、講堂に集められて行われていた。
私は、スカート丈だけは
短い目が好みだったので、
スカートを腰で折って短くしていた。
校門チェックの時になると、
路駐の車の影でスカートを必死で下ろしていた。
私は、それでクリアできていたが、
人によっては、ウエストまでチェックされ、
折り目があると、それだけでも違反となってた。
私は、真面目に見える、特な人間だった。
通学バッグも、定められていた。
革バッグだったが、基本分厚い。
もちろんダサいので、細くしていた。
ただし芯を抜くと、違反になって
買い換えるハメになるので、
芯を残した状態で、細くしていた。
校則はこれくらいにして、
前述通りクラスでは馴染めなかったが
部活では超楽しかった。
楽しく仲良くしてくれる人がいて
神のように思えた。
部活は、煎茶部だ。
最初、演劇部に仮入部届を出したが、
本当は、そういった舞台に立つことに
憧れてやってみたかった。
だが、実際になると怖くなり、
結局、一度も行かずまま終わった。
小学生のころから、表舞台には興味があり
芸能界のスター募集的なチラシをみては
そこに行こうかと思っていた。
結局、勇気がなくて行けなかった。
その時の願望がずっと潜在意識であったのか?
のちに書くが40歳すぎてから、
表舞台に立つことをやることになる。
煎茶部は、たまたまその時話した
クラスメイトが入部していたので、
ついていって、そのまま入ったという
なんとも人任せというか、
自分の意思ではない、入部の仕方だった。
煎茶部は、先生が厳しくて礼儀を教え込まれた。
2年生にもなると、班分けで班長をした。
私の人生、あるあるだが、
部長とか、会長とか、そんなすごいポジションには
つくことがなかったが、
班長とか、結婚式に呼ばれても
たいてい受付とか、そういう誰でもできそうな
ポジションを頼まれることが多かった。
中学のときは、先輩に敬語を使わないで
別の先輩から、生意気だと言われたことがあったが、
このときも、先輩に指名されて頼まれたことを
なんで私がやらなあかんのんと、無視して放置して
約束を放棄したら、
その後、案の定呼び出され、叱られた。
どうも私は、人の言うことがきけない。
次は、複雑な修学旅行と引っ越しの巻。
※第4章で言ったが、この時期のアルバムは
一切残していない。
従ってフリー素材にお世話になっている。
ちなみに、スカートは短くしていたが
膝上くらいで、ソックスも白だった。