生駒市に住んでる娘の家に泊まりに行ってきた。家族4人和室に寝ていたが、2階洋間に移るというので手伝いに行ってきた。

ついでに生駒山に城跡があるので初日に城址巡り。

<ウイキペディアより>

信貴山城(しぎさんじょう)は、奈良県生駒郡平群町信貴畑にあった日本の城である木沢長政松永久秀の居城となった

信貴山城は大和河内の国境にある生駒山系に属する信貴山(標高433m)山上に築かれた山城である。信貴山は大和と河内を結ぶ要衝の地で、松永久秀はこの山上に南北880m、東西600mに及ぶ城郭を築いた。信貴山中腹には、朝護孫子寺がある。また、付近には、高安山城南畑ミネンド城立野城といった支城が存在した

朝護孫子寺駐車場から表参道を通り、寺を後回しにして城址へ直行。

ここから600m山道へ・・

左の鳥居を行く

 

空鉢護法堂が建っているところに天守があった。この石垣は名残りか?

<ウイキペディアより>

この山城は大きくわけて、雄岳部分とその裾の扇型に派生した部分の2つからなる。曲輪の数は110以上あり、奈良県下最大規模の中世城郭である。

『和州信貴山古城図』では、空鉢堂が建っている部分を本丸、少し下ったところにある細曲輪が二の丸、ハイキングコースがある部分を三の丸と記載されている

『探訪日本の城』によると、この本丸跡に4層の天守櫓が建っており、伊丹城(1521年)につぐ日本で2番目に建造された天守で、織田信長の安土城もこの天守を参考にしたのではないかと思われ、松永久秀は築城の才覚も備わっていたと記載されている

信貴山城址をさらに行くと松永久秀屋敷跡がある。

大きな曲輪が残っているだけ、何もないところはやはり植林されてしまう。

帰りに朝護孫子寺で御朱印をもらう

用明天皇2年(587)、聖徳太子によって創建された。平安時代以降は武人の信仰を集めた寺である。戦国時代には松永久秀信貴山城を築いたが、織田信長の攻撃を受けた久秀は自害し寺も兵火で焼亡した。その後、豊臣秀頼によって再興されることになる。標高437mの信貴山中腹に位置し、福徳開運の毘沙門天として今なお庶民信仰が篤い。信貴山の起こりは、太子が寅の年の寅の日、寅の刻に現れた毘沙門天を感得し祀ったことという言い伝えによるもので、境内の至る所で張り子のトラを見ることができる。トラはこの寺の守護神でシンボルとなっている。
 
 
厄除けや健康・長寿を祈願する師走の伝統行事「大根だき会(え)」が行われる千手院
(ダイコン農家からダイコンの奉納をうけたのがきっかけで始まった行事、大鍋で煮たダイコン約3000食分が柴燈大護摩供の祈願者にふるまわれる)
 
 
 
 
孫に会うと4歳の娘は顔をかくしているが笑っている。よかった。2歳の息子はきょとんとしている。
壁にはスタジオで撮ったおめかし写真
 
片付けは子供たちが寝静まってから。
 
クリスマスプレゼントも娘には「すみっコぐらし」のおべんきょうボードとエアーホッケー、息子にはバスタウンセットとサッカーボール、親には志摩の干物とアオサ海藻を持っていきました。
次の日は朝から旦那さんとダブルとシングルのベッド組み立て。すのこ仕様なのでパーツが多い。説明書を見ながら奮闘しました。
昼はかっぱ寿司、コロナ対策か回転寿司は無くて新幹線で運ぶのみ、子供たちが納豆巻きが好きなのは感心しました。3時過ぎ、すべて終わって帰路に着きました。段ボールや発泡スチロールなどゴミまで持ち帰って・・甘い親でした。