連休を利用して、四国の100名城は残り5か所残ってたので行ってきた。
行きは、しまなみ海道から因島水軍城と村上海賊ミュージアムに寄って四国に入った。

しまなみ海道は初めて通る。うれしくて車中からスマホでパチリ、これは因島大橋か?

しまなみ海道をロードバイクで走る若者がたくさんいて、コンビニにも休憩してる人がたくさんいた。

因島水軍城は史料館です。ここに城はなかったが島にはいくつかの城があった。
<パンフレットより>・・・村上海賊(村上水軍)
室町時代から戦国時代にかけて、芸予諸島を中心に活動した海賊(水軍)です。
現在の尾道市の因島、今治市の能島、来島を本拠地とした三家に分かれ、時には結束し、時には互いに戦いながら、瀬戸内のほぼ全域の海を支配していました。
「海賊」という言葉は、現在では海上を航行する船や沿岸地域から強引に物資等を奪う人々を指します。因島村上氏が活躍していた頃は、海で活動し、通行料が払われなければ強奪することもありますが、普段は札浦(関所)で通行料を徴収し、水先案内人として、瀬戸内海の各地域との交渉もしていました。また、中国などの海外諸国とも交易をしたり、平時は漁業者として活動もしていました。まさに 「海とともに生きる人々」だったのです。ですから、現在の海賊という言葉と当時の海賊は意味が違っていました。「海賊」という言葉は戦国時代当時から使われていて、織田信長に仕えた宣教師ルイス ・ フロイスは、村上海賊を 「 日本最大の海賊」 と呼んでいます。
江戸時代から水軍と呼ばれた。


因島村上家の家紋は能島村上家と少し違う。



因島村上家、現23代当主は映画監督の「村上典吏子」

ホタテ貝の兜と海戦に使われた焙烙玉(ほうろくだま)(現物は無し)

因島村上一族の墓地
続いて、大島にある「村上海賊ミュージアム」へ


小早船と繋船石

第一次木津川口合戦(毛利水軍とともに大阪本願寺へと兵糧を運んだ村上海賊は、大阪湾で織田水軍を破った。

「村上海賊の娘」本屋大賞受賞記念レリーフ

能島城と鯛崎島(能島村上氏の本拠地)

ミュージアム前から能島城が見える。ユーチューブに空からの映像があったので確認する。
その後、100名城の今治城へ・・