約40年ぶりの桂浜、坂本龍馬の銅像は遥か太平洋を望みながら立っている。



昭和3年5月27日は、桂浜龍頭岬上にたつ坂本龍馬銅像の完成除幕の式典日だった。海上には海軍省派遣の駆逐艦「はまかぜ」の姿があり、銅像足下には、地元44連隊中島中尉指揮下の兵士たちもいた。参列者500名の眼差しは紅白の幕落ちる瞬間に集中した。
当時早稲田大学学生だった入交好保氏が発起し、「坂本先生銅像建設会」を組織し浄財募金の運動を全国に展開した。総工費2万5千円、銅像の高さは17尺5寸(約5.3メートル)、総高は44尺5寸というからほぼ13.4メートルだ。台座裏の銘板には「時 昭和参年五月、建設者 高知県青年、原型 本山白雲、助手 島村治文、鋳造 角川健治、台座工事 宮本金太郎」とある。
昭和63年5月28日、桂浜で行った龍馬先生銅像建設発起人物故者追悼会にあたって司馬遼太郎氏は還暦を迎えた銅像龍馬にメッセージを寄せている。 <竜馬記念館HPより>
龍馬の銅像は日本中で一番多いそうだ。土産にもなってるし、ちなみに自分も持っている。

坂本竜馬記念館屋上より

高知県立坂本龍馬記念館

来館した人は竜馬と握手するが今はコロナで出来ない

最も人気の高い竜馬の和歌
展示物はやはり書物が多い。我が家の柱に短冊がかけてあるがその言葉が4行目あたりから書かれている。
「世の人は我を何とも言わば言え我が成すことは我のみぞ知る」

現存する家族あて最後の手紙
坂本龍馬書簡、坂本権平宛 慶応3(1867)年10月9日

襲撃された近江屋内部(2階左の部屋に中岡慎太郎といた)

記念館には血のついた屏風や掛け軸が展示されていた。



坂本龍馬と中岡慎太郎


桂浜への行き帰り、浦戸大橋を通ったが結構大きな橋だった。気になって調べてみた。
全長1480m・高さ50m
自動車での利用を前提としたため、歩道部は極めて狭小であるため歩道部における自転車同士の離合は困難である。 橋からの投身自殺が相次いだことから、橋の欄干に高さ約3メートルある背の高い返し付きのフェンスが設置されている。
歩いて渡ると怖い橋らしい。