明日は調停。


長く続いた調停も、次で離婚は成立する。


子供との関係は未だ何も変わらず。

これについては今後協議が続くのか、どうなのか。


私はキコに最後の手紙をしたためた。


妻キコが、父子関係の関係改善を望んでいないことから、そこをなんとかしないと、おそらく前に転がらないと思う。子供たちも、成人とはいえ、母親と同居している限り、影響は受けるだろうし、母親が辛い顔をしていたら、子供も父親に会いにいくとは言い出さないだろう。


そのためには、やっぱりキコとの関係を、離婚しても、改善しないと、、、。


と私は考えた。


調停員は、もう明日で調停を決着させるつもりの

ようだ。私にとっては何にも妥協してもらえていない納得のいかない結果だが、キコの感情を抑えるためにも、”お疲れ様”という意味で手紙を書こうと思い、次のように書いた。


これを明日の調停で出そうと思う。



妻キコへ

思えば2001年の6月23日、それは僕のお母さんの53歳の誕生日だった。僕は背が高くてスラッとした女性に出会い、一目惚れをした。その女性の名はキコと言った。
そしてすぐにキコは、お腹に僕の子を身籠り、僕たちは結婚という、戸籍に名前を連ねる決断をした。

まもなくかわいいワイコが、後にケイタもこの星に命を受け、僕たちは、恋愛関係から子育てパートナーとして、毎日毎日、今までやったことのない親という役割を演じた。

僕は、24年間、キミだけを見つめてキミだけを愛してきた。産んでくれた2人の子供達には期待をするだけではなく、精一杯応援して、子供達が父親を超えていくのをモチベーションに、僕はお金には困らないようにと、仕事を頑張った。


しかし歳を取るにつれ、社会での責任も増し、プレッシャーも高まり、会社で昇進コースから外れてしまってからは、日々イライラが重なり、余裕がなくなってしまった。酒に任せたり、現実逃避する日々が増えた。
そして、徐々に、僕はキミを一番に考えてあげることができなくなった。


ごめんな。


ようやくキミが言った、

原因は、今回のトラブルだけではない

と言ったあの言葉がわかるような気がする。


今回、僕は、キミが選んだこの結果を受け入れることにした。

しかし、僕も精一杯だったことだけは、キミに、そして子供達に、わかってほしいと今も思っている。自分が歩んだこの辛い茨の道を、子供達には、歩んでほしくないと強く思った。だから一生懸命だった。

そして、キミもこの数年は色んな意味で過渡期であったのだろうと思う。これからは、僕はもうそばにいないから、これまでの優しかったキミを、お母さんを、取り戻していってもらいたいと切に願う。

これからは、いがみ合ったり、憎しみ合うのではなく、これまでとはまた違った形で、2人は2人の子供を立派に育て上げた戦友として、お互いを敬い、応援しあう関係になりたい。

あの時キミが希望していた、そんな友達関係を、キミがまたいつか望む時が来るなら、私はきっと受け入れるだろう。だって愛した女性だから。だからいつでも連絡してきて。僕がこの地球上に生きている限りは、世界中どこでも、旅行に連れて行く。

奇しくもキミが、あの出会った時の僕のお母さんと同じくらいの年齢になるこの日に、僕たち夫婦は区切りをつけることになる。

いつの間にか時は過ぎた。しかし、決して辛いことだけではなかった。ほんの少しだけ、気持ちが噛み合わないことがあっただけだ。だから、これからは休息の時間だ。

これからキミと僕は、今まで通り、いやそれ以上の関係になることを、僕は願って、本日、婚姻関係を発展的に解消することを選ぶ。


           永遠の友 キコへ
       令和7年(2025年)6月13日
               ムームー
        天は自ら助くる者を助く
               一陽来復