かつて、宇宙の中心は、地球🌏だと言われていた。

地球こそが宇宙の中心で、太陽☀️は地球🌏の周りを回っている。だからこそ、モノは地面に落ち、飛んでも跳ねても地球が動いていないから同じ位置に着地する。


それが”天動説”と言う。


その当時はキリストの教会が、それを厳格に定め、それ以外の説は”全て正しくない”とされていた。


しかし、その時代にも、その説に意を唱える者がいた。皆さんもご存知、ガリレオ・ガリレイ。


もちろん、彼だけがそれを唱えていたわけではない。それまでも、そして、それからも、その説を唱えるものは、異端として処罰、処刑され、名も残らずその一生を終えた者が多数いた。


皆さんにお尋ねしたい。


この話は美しいか?


事実は違う、本当は天が動いているのではない、動いているのは地球の方だと主張する人を抑圧し、一つの説を押し付けることが、美しいだろうか?


ガリレオ・ガリレイは、その最期に、

それでも地球は動いている

と語った。


今は

動いているのは天ではなく地球

となっている。


ではどうやって地動説が証明されたのか。

私は無知なので、そこまでは知らない。

その後、世界はその天動説が誤っていたことを認めた後、何かが変わっただろうか?


権威と正誤判断の切り離しは行われたか。


しかしながら、今この時代でも、正しいとする説が、誰かの何かを抑圧していないか。


私は今まさにその中で抑圧されているような気がする。


私の唱える事実は誰にも届かない。私を支援してこの現状を変えてくれる味方もいない。結果、妻キコの主張する離婚要求だけが認められ、さらにはおそらくこの後、この条件ならば離婚を受け入れる。とした内容すら認められず、さらに金を巻き上げられる。結果、意思を変えない者、声の大きな者、似非社会的弱者が勝つ。


本当にキコは社会的弱者だろうか。今までの自分の環境に甘んじ、それを演じているだけではなかろうか。私には全く美しく感じない。


さらには、

・父親を疎外し続ける子供達でも、養育費や学費は収入の多い者が支払うのが責務である

・話し合いもせず、勝手に理由不全で出ていき、夫/父親を捨てたにも関わらず、その問題は不問とし、出て行かれた側が悪いのであり、金銭を身ぐるみ剥がされても仕方ない。

・相手がいくら金持ちであろうと、収入が多い方が払うべき。


これは日本の法律に則った解釈だが、何を正として運用されている解釈だろうか。私の正義は誰が考慮してくれている?弱者救済?本当にどちらが弱者なのか、誰が何を基準に見極めているのだろうか。


全く美しくない解釈


そしてこれに意を唱えても、

私の主張は何も拾ってもらえない。


相手を弱者とする代わりに、私を弱者に仕立てようとしている。


歴史を紐解けば、この構図はずっと繰り返していることではないか。まるで敗戦国を戦勝国が裁いた極東国際軍事裁判、所謂リンチのようだ。不公平という言葉では表せない。そもそも法の下の平等というものは存在していない。法律がそもそも機能していないどころか、法律を蔑ろにしていると言ってもいいだろう。


悪意の遺棄、同居義務違反、信書開封罪、意図的な婚姻費用請求の遅延、意図的な収入の不確保による過剰な婚姻費用の請求。


そして調停員は、こう言った。

私たちは裁判所の職員ですが、法律は知らないので、正しいのか正しくないのかはわかりませんから、相手を嗜めることなどできません。弁護士の先生は言ってくださっていると思いますが。


相手弁護士が相手側に嗜めるわけがないだろう。金づるなのに。


私は、その最期に言いたい。

あなた方がどう判断しようと

私をどのようにして陥れようと

それでも真実は

あなた方のいうものに

書き換わることはない

と。