小学1年性の頃の夢は

日本の大統領になることだった。

(当時は日本が総理大臣だと知らなかった)

 

 


そして、小学生の頃に

連れてってもらった韓国で

初めて黒人を見て衝撃が走った。

 

「なんてカッコいんだ・・・」

 

と、一目惚れした。

 

 

 

そして彼らのことを調べると

世界の貧困や差別問題に出会った。

 


 

なんで同じ人間なのに

肌の色で差別されたり、

住んでいる場所が違うだけで

貧しい生活を余儀なくされなくちゃいけないのだろう

 

 

素朴な疑問から、調べていくと

調べれば調べるほど悲しい現状がそこにはあって、

同じ人間であることが何度も嫌になった。

 

 


だから私は将来、国連で仕事して

世界を平和にする!と思ったのが

高校生の頃の夢だった。


 

 

しかし、国際大学に入学して

アジアの色んな国へ行き、

ボランティア活動をする中で

私が体感したのは

 


 

発展途上国よりも

よっぽど日本の方が貧しい。

って感じたこと。

 

 


私が行って

実際に見ていた場所では




たしかに食事も3食できないし、

洋服もボロボロで家も狭くて汚いけど、

家族が仲良しで、

勉強することを楽しみにしていて

オープンな性格で優しくて

目が輝いていた。




そんな彼らと比べて日本では




こんなに物質的に溢れているのに

「まだ足りない」と金や物のために

仕事に追われている。

 


 

そして、健康な体があるのに



美容における広告や雑誌を通して

そこに乗っている完璧なモデルと

自分を比べて、

劣等感に落とし込まれるような仕組みもある。

 

 


コンプレックスや不安を煽れば

それがビジネスになり

私たちは不安を解消できると期待をして

それらにお金を費やす仕組み。





それに、




生活のためにはお金が必要。

食べるためにはお金が必要。

もっと綺麗になるためにはお金が必要。

もっといい家に住むためにはお金が必要。

楽しいことをするにはお金が必要。

子供ためにはお金が必要。

将来はどうなるか分からないからお金が必要。




そのお金のためには

仕事が必要で、働き続ける。






 

私はそんな仕組みが真実とは思えず

大嫌いだった。

 

 




その時に、

 

 

本当の豊かさって


 

どれだけ物質的に豊か

どれだけ地位があってお金があるか?とか関係なく



もちろん基本的な生活水準が

確保されている上だけど



どれだけ自分が心から幸せを感じれるか?

あるものに目を向けられるか?などの

感じる心や在り方なんだと思ったの。

 

 


 


 


昨日は、海外情勢に詳しい友人たちと話しながら

そんな過去の私を思い出しました。

 

 

 


 

そしてね、ブラジルの山奥に住む

 

まいちゃんの村の話を聞かせてもらえてね^^

 

 

 

その村では、

 

みんなが助け合う精神というか、

それが当たり前で、

 

洋服を交換したり、

 

バナナが沢山とれたら

 

みんなに分けたりするのだそう☺️

 


 

「私のお金」「私の家」「私の洋服」「私のもの」

 

そんな所有の概念よりも

 

分かち合い、助け合い、寄り添い合い

 

なんだって思った。

 

 

 


「あ〜とっても良いなあ」と思った。

 

 

 

 

私は話を聞きながら、

 

何かを求めるのはもちろん素晴らしいと思うけど

 

それと同時に

 

健康な体があること。

 

食べ物を食べられていること。

 

家があること。

 

着られる洋服があること。

 

 

そんな十分すぎる 


「ある」 に目を向けてみると

 

どれだけ 

 

もともと 豊かなんだろうと気づいた。




そして、もっと私がもっている情報や


物やスペースなども共有していきたいと思った☺️

 




改めて大切なことを感じられた


素敵な夜でした^^



 

 

 

nino